北尾吉孝日記

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『論語』の「里仁第四の一五」や「衛霊公第十五の三」で孔子自らが「一以て之を貫く」と言っていますが、孔子の一生は正に一つのことで貫かれていました。
「五十にして天命を知る」(為政第二の四)、それから73歳で死ぬまでは弟子達の教育に全精力を注いだと思いますし、それ以前の「十有五にして学に志す」(同)というところからして、彼の生涯は「此の世をどう生きるのか、どうしたら人々は幸せになれるのだろうか」という問いへの答えを求め続けたものだったと言って良いでしょう。
最初に志した「学」には、礼・楽・射・御(馬術)・書・数の「六芸(りくげい)」が含まれていたわけですが、此の六芸に関しては「これらを修めてこそ一流の大人」という言い方をする人も中にはいるようです。
しかしながら正しくは、此の六芸とは大人(たいじん)云々といったレベルの話でなく、今で言う英国社数理に当たるもので、当時の一般的な教養を幅広く身に付けるという意味で射や御のようなものまで含めています。
此の中で儒教的な意味合いを有するものと言ったら礼と楽になりますが、先ず『論語』の中で仁と並んで良く出てくる礼というのは二つの側面があると私は考えており、端的に言うと一つは礼儀作法で今風に言えばエチケット&マナーのこと、もう一つは秩序の維持といった事柄に絡んでくる礼儀のことであります。
また楽というもので言えば、孔子は教育の中でもある意味重きを置いてき、此の情操教育ということに大変な力を入れてきたのだろうと思われ、「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(雍也第六の二十九)とあるように、恐らく彼は知情意全てのバランスをとる形にせねばならないと考えていました。すなわち、中庸の徳を様々な形の中で持ち続けることを非常に大事にしたのではないかと思います。
『論語』的と言えば『論語』的な此の礼と楽の2つに関しては、当ブログでも『人物をつくる』(08年4月3日)及び『感性を高める』(12年10月25日)等で詳述済みですので、御興味のある方は是非そちらを御覧頂ければと思います。
次に書ということでは、連判して行くに当たって読み書きが出来るというのは当然のこととして必要ですから、非常に識字率が低かった2500年前に一般的教養として身に付けねばならないものでした。
そして残りの数というのは、日本でも言われる「読み・書き・算盤」の算盤のことであり、ある意味貨幣経済が発展・浸透したら金勘定が出来ねば御釣りの計算さえどうにもなりませんから、足し算・引き算といった日常生活を行うに必要な類が此の数というものです。
以上、礼・楽・射・御・書・数それぞれを簡単に説明してきましたが、そうした常識的なものを先ずきちっと身に付けなさいというのが此の六芸でありますが、他方で『論語』の「子罕(しかん)第九の七」には『牢(ろう)曰く、子云(い)う、吾試(もち)いられず、故に芸ありと…子牢が言った。「先生は“私は国から取り立てられなかったので、いろんな技芸を会得したのだ”と言われた」』という言葉があります。
これ即ち、孔子というのは六芸に秀でた人で弓も上手く手綱捌きも一流だったわけですが、それは生活のために身に付けただけです。本来孔子の君子像としては、一芸に秀でるだけでなく、幅広くその能力を発揮し、一定の型にはまらない人物と言えましょう。すなわち「君子は器(うつわ)ならず」(為政第二の十二)です。




 

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