北尾吉孝日記

『伸びる人、伸びない人』

2014年7月8日 16:15
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将来その人が伸びるか否かを考えてみるに、例えばSBIグループの新卒採用は私が全て最終面接を行います。採用の基準は一に人物、二に能力や知識です。さらに能力の場合は、その人の持つポテンシャルということも大切だと思っています。例えば同能力の2人が採用試験に臨むという場合、そこには精一杯努力に努力を重ねてやっとの思いでくる人と、大して努力をしている様子もなく余裕綽々でくる人がいます。
私としては、先ず前者に関しては努力してきたことに対し、それなりに採用する理由というものがそこにあると思いますし、他方で後者に関しては余裕を持ちながらそこまできたということで、「この人が本気になったらどこまで出来るのだろう」と試してみたいという思いも湧いてきます。
従って、そういう時に結果として両者を採用するにしても、将来的に伸びるのはどちらかと言えば、私の経験上では余裕綽々でくる人が伸びているケースが、やはり多く見られるように思います。
己のキャパシティの5割を出してそこまで行ける人、8割を出さないと行けない人、精一杯の努力をしないとそこに到達できない人等と様々ですが、これまで5割でやってきた人が今度本当に自分自身の8割・9割で全力投球できるか否かは別問題です。ずっとその余裕を持ち続けたままで行ってしまい、結局大したことにならなかったという人も勿論います。
また、それまで自分の能力を自分で限定し自らの限界を自ら規定してきた人が、100%の努力をずっと積み重ねる中で、気が付けばふっと己の限界を超えているということもまたあります。何らかのきっかけで次の展開に移れる瞬間を自分自身で認識し、そこから再び伸び出す人がいるというのは人間の不思議であります。
『論語』の中に孔子が弟子の冉求(ぜんきゅう)に対し、「力(ちから)足らざる者は中道にして廃(はい)す。今(いま)汝(なんじ)は画(かぎ)れり…力が足りない者は、中途半端で止めてしまうものだ。今のお前は初めから見切りをつけているではないか」(雍也第六の十二)と怒る章句がありますが、此の「画れり」というのが一番いけないことです。
故に之は守破離の世界、即ち「守―指導者の教えを忠実に守り、聞き、模倣する段階」、「破―指導者の教えを守るだけでなく、自分の考えや工夫を模索し試みる段階」、「離―指導者から離れ自分自身の形を作る段階」に入って行く、ということにも繋がるところがあります。
結論として伸びる人か否かは、その人をどこまで長い目で見るかに拠ります。初めの2、3年位で見れば余裕綽々できている方が早く伸びますが、之を10年のスパンで見ると分からない部分が出てきます。ずっと余裕綽々でくる人というのは、要領が良いだけで本当の意味での努力をしませんから、結局次なる境地へ到達できないことがあるのもまた事実でありましょう。




 

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