北尾吉孝日記

『好き嫌いは後回し』

2014年7月16日 17:20
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1年ぐらい前の『好きな人、嫌いな人』という小生のブログの中で、私自身の基本的な考えとして出発点は人を好き嫌いで見ないことにあると述べました。
好き嫌いは全く関係なしに、先ず一人間として互いに尊重し合い、そして夫々が自らも自らを尊ぶつまり自尊という中で、他人との付き合いを行えば良いのだと思います。
もちろん私自身も嫌いな人はいるにはいますが、仕事上は好き嫌いなど一切入れず適材適所を考えることに徹しています。
仕事の世界においては、どれだけ生理的に受け付けない人であっても、決してそれを持ち込むことなく極めて冷静にロジカルに、そして客観的に判断や評価をして行かねばなりません。
部下夫々に対してその価値観が合うか否かで、好き嫌いはどうしても出てくるものです。しかし「部下を育てたい、育って欲しい」という気持ちがあれば、好き嫌いは後回しになるはずです。
適材適所に努めるということでは、『論語』の中にも「其の人を使うに及(およ)びては、之を器(うつわ)にす…上手に能力を引き出して、適材適所で使う」(子路第十三の二十五)という孔子の言葉があります。
拙著『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』(朝日新聞出版)では、「君子は器ではなく、器を使うのが君子だ」と述べましたが、此の度量のある器量の大きい人は、部下を使うに当たって「之を器にす」という心掛けが必要なのです。
他方、若手のビジネスパーソンの側から見ますと、所謂小人の器の上司の下で働くとなれば、その上司は本来別であるべき好き嫌いの感情と、人物評価の区別が付けられないのですから、これ正に悲劇としか言いようがありません。
どう客観的に考えても、「自分に非があるとは思えない」「このまま会社に居続けても芽があるとは思えない」「あの尊敬できない上司と一緒に働いても、心身ともに疲弊して行くだけだ」等々と判断するなら、場合によっては辞めるのも一つの手だとは思います。
但し、『好きな仕事、嫌いな仕事』(14年3月25日)でも書いたように、そもそもが好き嫌いで物事を考えられるのは、自分に関して非常に狭い範囲に限られた事柄のみであり、此の現実の社会生活殆どにおいては、実はそう単純なものではありません。
私の場合で言うと、ある程度気心を知った後に自分と一緒に仕事をやって行く相棒を選ぶ時には、常に「色々な事柄で此の人から多くを学ぶことが出来るか」とか、「自分の足りない部分を如何に補ってくれる人か」といった部分を意識します。
そうして気付いたことは、嫌いな人あるいは自分とはまるっきり違う人から学ぶことは結構多かったという事実です。やはり素直に森羅万象皆師であると思いながら、謙虚にあらゆることを柔軟に吸収して行くことが一番大事だと思います。




 

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