北尾吉孝日記

『人生に無駄なし』

2014年8月1日 16:50
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「野球界きっての名将」とも言われる「ノムさん」こと野村克也さんは、『「努力しろ」というのは誰でも言える。だが、見当違いの努力をいくらしても結果は出ない。そうならないためには、自分自身を知ることで足りないことに気づき、それを補う方法をみつけなければならない。指導者は、言葉を通してその道筋をつけてやらなければならないのである』と、その著書で述べられています。
『徒然草』に「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」とあるように、目の前で師と触れ合い師の呼吸を感ずる生きた状況において師と仰ぐ人の謦咳に接するとか、偉人が残した書物を読込みそこから様々な教えを乞うて血肉化して行くといったことが、間違いない方向を歩んで行く一つのポイントになるのだと思います。
但し、合理的な処置を講じ続け正しい方向へ効率よく着実に早く進んで行くというのが最善だと誰しも思うことでありますが、よくよく考えてみると無駄というものは何事においてもないのではと思われ、私自身もそうした考えに基づき方向に確信が持てない場合にも兎に角がむしゃらに精一杯努力し続けてきました。
勿論「そんな誤った方向で一生懸命頑張ってみても意味はないでしょう」といった部分にひたすら努力を積み重ねている人も中にはいますが、私に言わせればそれもそれでまた決して無駄でなく終局何も報われないということにはならないと考えますし、そもそも人生のあらゆる事柄において決して無駄はないと信じています。
「無駄な努力」という言葉もありますが、正に「七転八起(しちてんはっき)」の精神で「何回失敗してもくじけず、立ち直ってどこまでもやりぬく」場合、その本人にとって何も得るものがないかと言えば、私はそこに何かあるに違いないと思うのです。
目標を定め目標に向い目標を達成するということでは何の役にも立たなかったかにも思われるかもしれませんが、ひょっとしたら七度転んで起き上がった八度目に「この方法を少しこう変えてみよう」とか「こういう視点で物事をもう一度見直してみよう」といった気付きがあるかもしれず、その努力の途中いったん自ら気付いた後は様々な形で改善が図られ更に努力を続けて行く中で先を歩んでいた人を猛スピードで追い抜かすことだってあるでしょう。
拙著『何のために働くのか』(致知出版社)の第四章「世の中に起こるすべてのものに無駄がない」でも、『まずやってみろ。「できない」なんてすぐに音を上げるな。できないのなら、なぜできないのかを考えろ。知恵と工夫と努力が十分かどうかをもう一度反省してみろ。ものの見方を少し変えて、もう一度やり直してみろ』と述べた後、「時には方法論が間違っていて失敗する場合もあります。そういう場合には、やり方を変えてもう一度やり直してみるのです。そうすれば、必ず成功に至ります。(中略)ずっと続けてきたことのすべてにおいて、それを一所懸命にやっている限り、無駄はない。最終的に、すべてはプラスになっていくのです」と書きました。
安岡正篤先生は『知命と立命』(プレジデント社)ので、「なんでも研究をしてみたら無限の意義、作用、効能がある。決して無用な物はない。“天に棄物なし”という名言がある。いわんや人間において棄人、棄てる人間なんているものではない」と言われています。ですから棄人がないなら、全ての人の「人生に無駄なし」ということも言えるのではと思っています。
様々な人がある意味での無駄な努力・失敗の連続を積み重ねた結果、後世の人がそうした方法の問題を認識し新たに違った方法を模索して行くというわけで、長い目で見た時に無駄か否か・無駄であったか否かはそう単純に言い切れるものでなく、歴史的に見てもある人が蓄積し続けた無駄な努力・失敗の連続が、後の世に大きな貢献をしていないとも言えないだろうとも思えます。




 

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