北尾吉孝日記

『人を感化する』

2014年8月5日 10:50
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私が求めてきた生き方の一つ、「自らに全責任を帰して己が反省し、自らの人格を高めて人を感化して行く」という東洋思想の基本を、先々月3日のブログで述べました。
とは言うものの、人を感化すること自体が極めて難しく、所謂HOW TOものに出ているを何か身に付けたとして、人は動くこともありません。
人を感化するということは、思い通りに人を動かすこととは違います。感化とは心から分かりましたという世界ですから、暴力や権力を振るってみても感化にはなりません。
その人が生きてきた間に身に付けた知恵や知識、あるいはその間なめた色々な辛酸といったものが、その人にある種の魅力を与え、それこそが人を感化するものになるのです。
『論語』の中に、「其の身(み)正しければ、令(れい)せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖(いえど)も従わず」(子路第十三の六)という孔子のがあります。自らが皆に先達て身を修めきちっとした言動を見せることで、「なるほどなぁ~」という気持ちを如何にして相手に何度も持たせ得るかが、人を感化する上で大事だと思います。
人を褒め感激を与えるということも、人を感化し人を動かす上で非常に重要な要素です。怒って鞭ばかりを振っているような所には、感激もなければ人が動くこともありません。そういう意味では、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という山本五十六元帥の実に至言だと思います。
あるいは、自分自身の徳性の高さや全人格から醸し出される人間的魅力によって、「あぁ、立派な人だな~。あの人みたいになりたい」といった感情を相手に起こさせるということも一つ。また、人間とは本質的に『敬と恥』の関係を常に有しているものですから、相手が恥じ入る心を以て自分が敬の対象になってき、恥じ入った者が感化されるということもあるでしょう。
「君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む」と人に責任転嫁するのではなく自分が責任を負うのが君子だと孔子が言い、「大人(たいじん)なる者あり。己を正しくして、而(しこう)して、物正しき者なり」と孟子が言うように、自分を正しくしてさえいれば、その至誠の徳は全ての者を感化して行きます。
また、荀子が「治人有れども、治法無し」と言っているように、やはり人が全てであって法律を幾ら使ってみたところで世の中は治まりません。ある時は人に感化されて良き方向に導かれ、またある時は人を感化して良き方向に導く---我々人間は先ず自らを変え、それから人を感化し、そして「一燈照隅、万燈照国」と持って行くことで初めて、此の社会は変わり始めるのではないでしょうか。自己変革をし自己の徳性を高め、そしてその徳性で他の人を感化して行くのです。




 

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