北尾吉孝日記

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終戦を迎えた二日後ほとんど全ての日本人が茫然自失としている中、出光興産創業者の出光佐三さんは同社社員一同に対して、「一、愚痴を止めよ」「二、世界無比の三千年の歴史を見直せ」「三、そして今から建設にかかれ」と発言されました。
そして上記に続けて出光さんは、「ただ昨日までの敵の長所を研究し、とり入れ、己の短所を猛省し、すべてをしっかりと肚(はら)の中にたたみこんで大国民の態度を失うな」と言われました。
此の肚ということでは、例えば「肚のできている人」の定義は「普段からものごとに動ぜず、怒っても仕方のないようなことには平静を保っている人」というものであり、また「肚のある人間」は「自己自身の内部の中心に常に回帰できるので、落ち着きがある」という言い方をする人もいます。
私として「肚のある人」や「肝っ玉の据わった人」とは、「勇気ある実行力を伴った見識を持っている人」、即ち「胆識を有した人」を指して言うのだろうと考えます。
此の「知識」「見識」「胆識」の定義に関しては、夫々「物事を知っているという状況」「善悪の判断ができるようになった状態」「実行力を伴った見識のこと」と、拙著『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)にも書きました。
「言うだけ番長(言葉ばかりで結果が伴わない人)」という言葉は余り使われる表現でないのかもしれませんが、世の中これに該当するような何か言いっ放しの「評論家」や「コメンテーター」の類は沢山います。
此のカテゴリーに属する人達の中には、ある程度の知識を持って善悪の判断ができ良いことを言ったりする見識のある人も時々いますが、何れにしても少なくとも肚があるか否かといった判定には至らない人達であります。
先に述べた通り、そこに実行力を備えて初めて之が胆識ということになり、そして自らが言ったことをきちっとやり抜くからこそ、肚が出来た人だと世間から評価されて行くことになるわけです。
王陽明の『伝習録』の中に「知は行の始めなり。行は知の成るなり」という言葉がありますが、知を得た人はどんどんとその知を行に移し、知と行とが一体になる「知行合一」的な動きに持って行かねば、ある意味得たその知は本物にはなりません。
つまり、学を学として知識に留めておく限り、殆どと言って良い程実際の生活において役に立たないものであって、行を通じて血肉化する中で自分のものにして行くのです。
日々の仕事あるいは社会生活で常に事上磨錬し己を鍛え上げ、知行合一を実践する中で自己人物を練り更なる精神の向上を図って行く---之を一生涯続ける結果として人物というものが出来上がり、勇気ある決断力・実行力・行動力を持った本物の人物になるのです。




 

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