北尾吉孝日記

『八方美人と青臭い若者』

2014年8月18日 16:15
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『論語』の「陽貨第十七の十三」に「郷原(きょうげん)は徳の賊なり…郷原のように善人面(ぜんにんづら)はしているけれども八方美人で節操のない者よりは、狂者(きょうしゃ)や狷者(けんじゃ)の方が余程いい」という孔子の言葉があります。
此の狂者・狷者ということで、孔子は「中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり…言行が中庸な人と付き合い出来なければ、奔放で気骨がある人と交際するのが良い。奔放な人は進取の精神に富み、気骨のある人は悪事を働かないからだ」(子路第十三の二十一)と言っています。
拙著『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』(朝日新聞出版)でも述べたように、狂者や狷者には理念や行動力が備わっている一方、善人面をしているだけの八方美人の郷原にはそれがなく、故に孔子は狂者や狷者の方を評価したのだと思います。
私として孔子のように「徳の賊なり」とまでは言いませんが、八方美人であることの特徴として、何か善人ぶるような部分が表面的に出てくる傾向があること、そして自分の主義・主張・立場を明確にしない傾向があること、此の二点が挙げられるように思います。
之を、人に合わせてばかりで敵を作らないということで「世故(せこ)に長(た)けた人」とか「世慣れした人」といったふうに良く言う人もいるにはいますが、私に言わせれば此の八方美人的生き方はある意味卑怯な生き方に思われます。
之は、青臭い若者の純粋さの類を全て取り去ってしまった後に残るもの、あるいは歳を重ねて行く程にそうしたものが増えて行くということかもしれませんが、世慣れた先輩諸氏からしてみれば「北尾さんも子供だなぁ」と思われるような向きもあるものの、私などはある面何時までも純粋さを持ち続けたいと思い今日まで生きてきました。
私自身常に主義・主張・立場を明確にし、様々な事態に直面した時に物事をはっきり言う方ですから、時として敵を作り誤解をされということもありますが、如何に生きたいかと問われれば八方美人的生き方をしたいと思うことはありません。
英国格言に「何人にも友たる人は何人の友にも非ず…Everybody’s friend is nobody’s friend」とか、「広く好かれれば好かれるほど、深く好かれないものだ」とフランスの小説家・スタンダールも言っているように、八方美人的生き方であるが故に敵が少なくそれ故ある意味真の友も少ないのかもしれません。
あるいは、誰に対してもにこにこしながら善人ぶり人に合わせてばかりいるような人は、自身の生活において嘘が多いのではと思われ、一たび反省してみた時に「どれだけ自分の良心に反した発言をしているか」ということを仮に嘘・偽・虚構とすれば、彼らはそういう世界に生きている人なのかもしれません。
世にぐちゃぐちゃ言う人がいようがいまいが、あらゆる事柄において何時も己の確固たるものを持ち、自分として良心に恥ずることのない生き方を、今後も貫き通したいと思う次第です。




 

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