北尾吉孝日記

『焦りと後悔』

2014年8月20日 18:00
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ゲーテの言葉に「あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔をつくる」というのがあります。
先ず後者に関しては嘗て当ブログで幾度も触れたことがあり、例えば1年前のブログ『これからの人、終わった人』では、過去の失敗に囚われ後悔ばかりしている人は恐らく終わった人だと書きました。
反省も大いに結構ですがそれで終わることなく、常に悔い改めて今度はそれを糧により良き前進に繋げて行かねば意味を為さず、何れ本当の意味で過去の人になってしまうということです。
あるいは、1年3か月程前のブログでは、あの宮本武蔵の言葉「我事において後悔をせず」に全く同感であると述べました。
起ったことは起ったことで、やってしまったことはやってしまったことで、それを後悔し思い悩んでも仕方なく、失敗であったと分かった時は、それを如何にして立て直すかが重要であり、そしてまた片方で「失敗したのも天命だ」と考えることが大事です。
他方、前者の焦ることに関して言うと、つい焦りまくって本番で実力が出ない或いはビッグゲームに弱いといった人の最大の特徴は、未だ修養が不十分で恒心(常に定まったぶれない正しい心)や平常心が欠けているのではと思われます。
昨年10月のブログ『深呼吸やイメトレで度胸はつくのか』でも指摘したように、此の恒心や平常心というものは学問をし色々な面で様々な経験を積み、「四耐四不」で艱難辛苦を克服して行く中で知行合一的に自らを鍛え上げることにより涵養されて行くものです。
つまり、焦ってしくじる人にならない為には、人生における様々な辛酸を嘗め、それに打ち勝って行く中で度胸をつけて行くと共に、何か事が起った時度胸だけで猪突猛進ばかりするのではなく、如何なる事態にあっても恒心を保ち冷静沈着に正しい判断が出来るようならねばなりません。
従って、ゲーテが「あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔をつくる」と言うまでもなく、之は極めて常識的な話で名言でも何でもなく、改めて彼の此の言にフォーカスする必要性すらないのではないかと思います。
但し、「何ゆえ焦るのか」「如何にそれを克服できるか」ということは大事な問題であって、それは一言で言えば上記した通り恒心を養うということで、人知れぬ苦労も厭わず辛い経験をし尽くす中で日々練修し続ける中で掴み取ってくる、ある種の自信のようなものが出来てくるのだと思います。




 

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