北尾吉孝日記

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昨日の日経新聞記事に「中国、食の安全に商機 NZフォンテラは粉ミルク供給 外国勢が相次ぎ提携 米ファンドKKR、設備刷新に資金」というのがあり、「中国では食の安全を揺るがす問題が絶えない」として08年以降の主な事件の概要表も載っていました。
07年以前で見ても、例えば「2002年には、中国産冷凍ホウレンソウが農薬で汚染されていた事件が表面化し」ましたし、また「2007年には、会社に不満を持つ食品工場の従業員が冷凍餃子の中に薬物を混入させ、当該餃子を食べた消費者が食中毒を起こす事件も発生してい」ます。
今月6日、国立青少年教育振興機構は『日米中韓の高校生を対象とする意識調査で(中略)食品の安全性について「非常に関心がある」と回答したのは米国23.5%、日本19.5%、韓国19.1%。これに対し、中国は52.7%で12項目中のトップだった。「まあ関心がある」とする回答も合計すると87.2%に上った』という結果を公表しました。
之に対して上記機構は一か月程前より世間を騒がせた一つのニュース、即ち「米食品卸売会社OSIグループの中国現地法人、上海福喜食品が消費期限切れの鶏肉を使用していた問題」が影響したものと説明しているようです。
今回の「中国期限切れ食肉問題」を受けては、上記した通り私としてある意味「またか…」というのが率直な感想でありましたが、他方その発覚から凡そ一か月の後、日本でも『「マルハニチロ農薬検出問題」について』(14年1月28日)懲役3年6月の実刑確定というニュースが出ていました。
「人間は生きるために食べるべきであって味覚を楽しむために食べてはならない」とガンジーが言い、ソクラテスも「生きるために食べよ、食べるために生きるな」と言いますが、人間ひょっとしたら「食べるために生きている」のではという説もある位です。
例えば、2年程前のブログ『健康で長生きするために』で御紹介した慶應義塾大学医学部腎臓内分泌代謝内科の伊藤裕教授の四部作の一冊、『腸! いい話』(朝日新聞出版)には『生物はすべて「食べるために生きている」』や「ナマコにとって腸がすべて」ということが書かれています。
細胞レベルでの人というものをずっと調べてみますと、未だ脳ができていない時点で腸があって口で食べた物が腸から出て行くといった此の簡単な機能だけで生物が存在し、そしてそこから段々と進化して行くということがあります。
そういう意味では、人間食べるために生きているという説を唱える科学者の主張も分からないでもなく、人間である以上あるいは動物である以上、食というのはなくてはならないものなのです。
従って、「これ本当に大丈夫?」と不安感を持ちながら食べねばならない状況が作り出されているとしたら、之は誰しもが大問題と言わざるを得ないと考えると思われ、食べるということにあって問題が生じるのは人間一人に対する話に止まるものではありません。
日本では16年程前にも「和歌山毒物カレー事件」というのがありましたが、不特定多数の人間が結果において健康を脅かされたり、極端な場合は死に追いやられるような状況も出てくるわけで、やはり我々として当然ながら此の食というものに対して細かく神経を使わざるを得ないのです。
『論語』の「郷党第十の八」には、「魚(うお)の餒(あさ)れて肉の敗れたるは食らわず…臭いのする魚や腐った肉は食べない」や「色(いろ)の悪しきは食らわず。臭(におい)の悪しきは食らわず…色が悪く、悪臭のするものも食べない」等々と、食に関する短い句があります。
嘗て『東洋の食文化について』(09年12月4日)というブログでも御紹介した此の章句には、上記した通り当たり前の事柄が様々書かれているわけですが、このように孔子は食というものに大変慎重でありました。
これ一体何故かと言うと、中国においては「医食同源」で伝統的に医(健康維持管理)と食(食べ物)を密接に関連付けてきたことが一つ挙げられますが、では如何なる理由で以て「中国では食の安全を揺るがす問題が絶えない」のでしょうか。
直近のケースでは腐っていようがカビが生えていようが自分が食べなければ関係なし、あるいは08年のケースでは「有害物質メラミン入りの粉ミルクが流通」しようが赤ん坊が飲む物だから気付かれないだろう、という中で儲けだけを考えて大変な事件が起こったわけで、之やはり一言で道徳観の欠如と言わざるを得ないと思います。
日本の場合をに見れば、江戸時代において武士道が廃れ魂を失った似非武士のような類がどんどん出てき、そしてまた町人は町人で娯楽快楽ばかり追求し風俗は乱れモラルがなくなって行くという状況が生じました。
その時、石田梅岩先生は「石門心学」を唱えて商行為の正当性を説き、商人社会に所謂商人道という道徳的商売人として一つ持たねばならないものを示して、啓蒙して行ったと言われます。
あるいは明治時代、あの資本主義の勃興期にあって現在も残るメジャーな会社を含め500以上の会社の設立に関わりを持ったとされる渋沢栄一翁は、「論語と算盤」を掲げ「道徳経済合一説」を打ち出して商業道徳というものの必要性を鼓舞したと言われます。
「安かろう悪かろう」ではなくて外貨を稼ぐべく良いものを出来るだけ安く作って世界人類に貢献する---こうした発想で以て『論語』の思想を実業家に啓蒙したのが此の渋沢翁でありました。
1年3か月程前のブログでも指摘した通り、中国には毛沢東を後ろ盾にして暴政を振るったと言われる四人組の時代、秦始皇帝により為されたあの「焚書坑儒」のような儒学の排斥を「批林批孔」運動の下で行い、ずっと道徳教育を蔑ろにしてきたという歴史があります。
そしてまた「一人っ子政策」という中で、基本的に6人の大人(実質的な両親、父親の両親、母親の両親)が1人の子供を至れり尽くせりで甘やかしてきた状況によって、自らの利益しか考えずその利益を確保するためには何をしても良いと考える連中が出てきたという背景もあるでしょう。
本来『論語』等で道徳的啓蒙が為されるべき中国において、長らく道徳というものが日本とは違った形で否定されてき、国民の道徳観の欠如というあらゆる問題の正に根本が生じてしまっているわけで、結果として此の間本当に大きなものがある意味失われたということです。
今、中国にあっては国を挙げての徹底的な道徳教育が求められており、中国企業人の中に上記した渋沢翁の如く商業道徳を唱える人物が誕生されねば、何時まで経っても食の安全を脅かす輩が社会から消え去りはしないでしょう。
私はSBIホールディングス株式会社の経営理念の第一に『正しい倫理的価値観を持つ(「法律に触れないか」、「儲かるか」ではなく、それをすることが社会正義に照らして正しいかどうかを判断基準として事業を行う)』ということを掲げています。
取り分け食に携わる者、あるいは金融の世界で働く者には、他業種と比して非常に高い倫理的価値観が、常に要請されるのだと思っています。




 

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