北尾吉孝日記

『人が期待を外す時』

2014年9月3日 11:55
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『論語』の「為政第二の十」に、「其の以(な)す所を視、其の由(よ)る所を観、其の安(あん)ずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや」という孔子の言葉があります。
つまり、「人の一挙一動を見て、これまでの行為を詳しく観察し、その行為の動機が何なのか分析する。そして、その人の安んずるところ、つまり、どんな目的を達すれば満足するのかまで察する。そうすればその人の本性は隠しおおせられるだろうか?決して隠せおおせないものなのだよ」と孔子は言うのです。
人を見抜く基本的な方法として上記「視・観・察」の三つを挙げているわけですが、実際問題「人焉んぞ廋さんや」とは中々簡単には行かないもので、人を見分けるのは物凄く難しく故に人を見るに相当な時間が掛かります。
私の経験上「もう此の人は駄目だな…」と思うケースは一つに全くの言行不一致を繰り返す人、一言で言えば「言うだけ番長(言葉ばかりで結果が伴わない人)」の類は最早駄目なのだと思います。
例えば拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)では、「君子は言に訥(とつ)にして、行(こう)に敏ならんと欲す・・・君子は言葉にするよりも素早く実行できるようにしたいと望む」(里仁第四の二十四)、あるいは「君子は言を以て人を挙げず…君子というのは言葉だけを聞いて人を抜擢するようなことはしない」(衛霊公第十五の二十三)という孔子の言を御紹介しました。
このように『論語』の中にも言だけが先に行くことを戒める章句が沢山あって、孔子自身そういうふうに思っていた部分が基本あるのかもしれず、之は人物選考上非常に大事な教えだと私は考えています。
それから更には、何時も格好良いことは言うものの全く以て違った行動に出そこに私利私欲が丸見えという人や、親切と見えるような行動の後ろに己の私利私欲が隠れているという人も、最早どうにもならないのだと思います。
自分自身を磨くということを怠り権力欲・金銭欲・物欲等々と欲にまみれてしまった、それもある程度年齢を重ねた上で私利私欲の海の中にその全てがつかりきってしまった人は「縁なき衆生は度し難し」といったがします。
そしてまた結局のところ、利の為に義を損なうような私利私欲を捨てられない人は、誠実さに欠けてしまうということになりますから、一時的に上手く行ったかに見えても大体が短期間で凋落して行くものであります。




 

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