北尾吉孝日記

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『論語』の「衛霊公第十五の十五」に、「躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる…己を厳しく律し、人に対して寛大であれば、怨みを買うことはない」という孔子の言があります。
「己を厳しく律し、人に対して寛大であ」るということは極めて難しく、実際問題その逆を行く人が結構多いように思われます。
『論語』の中には之と似たような言葉で、「君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む…君子というものは何事も自分の責任としてとらえ、人のせいにしないが、小人はうまくいかないことはなんでも人のせいにする」というのがあります。
具体例を挙げれば、「学校の先生の教え方が悪いから私の成績が伸びない」とか「親の頭が悪いから自分は頭が悪く産まれた」といった具合に、人が悪いから・親が悪いから・先生が悪いから・環境が悪いから等々と、あらゆる自身の問題を他人のせいにして自分に全く非はないと考えるようなケースです。
拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)の第二章「仕事力を上げるために何をすればいいのか」の中で、「小人(しょうじん)の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る…とかく小人は自分が過った場合にそれを素直に認めず、人のせいにしたり、あれこれと言い訳をしたりするものだ」(子張第十九の八)という子夏の言を御紹介しました。
こういう人は中々仕事が出来るようにはならず、人間的に全くと言って良い程成長して行かないで、結果として大した仕事も出来ないことが多いと思います。やはり己を律し、己の言動に責任を持つことが出来る人が人間的にも成長しますし、それが人からも良き評価を得るようなことに繋がって行くのだと思います。
「彼はどうだ」「彼女はこうだ」と他人は人の欠点・人の悪い所をよく指摘し、自分のことを棚に上げて直ぐに人の悪口を言う人も沢山います。
人を批判するにおいて、その人の指摘が割合当たっているということも確かに多いと思われますが、その反面その人はまるっきり自分自身を十分に省みず、結局自分のことが分かっていないということもありましょう。
『老子』第三十三章に「人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり…人を知るのは智者に過ぎないが、自分を知るのは最上の明とすべきことだ」という言葉があり、ソクラテスも『アポロン神殿の柱に刻まれていた「汝自身を知れ」の言葉を自身の哲学活動の根底におき、探求した』とされています。
あるいは、ゲーテについても「人生は自分探しの旅だ」と言っているわけで、自分自身を知るということ程難しいことはなく、またそれが如何に重要であるかについては、古今東西を問わず先哲は諭しているのです。
そして、そうしたことを分かろうとするのがであり修行であり、その為に人間学を勉強するのは大変結構なことだと思いますが、知っているようで知らない此の自己というものを分かろうとせず、結局人からの好評価も中々得られないというわけです。
それとは逆に、自らに全責任を帰して己が常に反省をする、あるいは自分を厳しく律して「慎独(独りを慎む)」の中に一人静かに戒心しようとする、こうした人々はどんどん伸びて行き人間的成長が齎され得るのだろうと思います。
結局のところ「躬自ら厚くして、薄く人を責む」る場合、『噂話を慎む』(14年9月1日)ということもそうですが、余りに御節介を焼いて人のことをどうのこうの言うべきでありませんし、一度注意をして変わらなかった後はぐだぐだと注意し続けずにそれ以上何も言うべきでないと思います。
そして我々が寧ろやるべきは、自分自身の更なる成長を目指して行くという姿勢を求め続け、日々の仕事あるいは社会生活で常に事上磨錬し己を鍛え上げ、知行合一的に実践する中で自身を練り更なる此の精神の向上を図って行くということであります。




 

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