北尾吉孝日記

『死地に陥れて後生く』

2014年9月17日 18:30
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日経ビジネスオンラインに『日本企業を襲う「自分のアタマで考えない」病 』(14年3月25日)という記事があり、その中で筆者は「大企業の場合、部長も課長も 皆、上を見て仕事をしています。自分で情報収集をし、考えて発言するというよりは、上から指示された仕事を鵜呑みにしてひたすらその範囲でやり遂げる、ということにほとんど全部のエネルギーを使って」いるとの指摘を行っています。
仮にそうした類の病が本当にあるとして、それが一体何ゆえ起こっているかと考えてみるに、先ずは2年程前のブログ『戦後教育と日本人』でも指摘した通り、記憶力を重視した英国社数理中心のペーパー試験偏重の現代教育システムが生んだ一つの欠陥にありましょう。
即ち、ある意味答えなき問題に対して如何に答えを出して行くのかという所で、その人の思考力や知恵といったものが最も顕れるわけですが、答えのあるペーパー試験とは所詮その殆どが知識をベースとした暗記中心のものであり、その人自らがどれだけの事柄を考えているかが余り見えないが故、想像力あるいは知的タフネスを有した人間が多出しないのではと思います。
それからもう一つは、凡そ1年前のブログ『「ネット依存」について』の中でも指摘した検索エンジンの弊害とも言い得るものであり、人によっては自ら考えて解を導き出すというプロセスの殆どをネット上でどんどん省略して行こうとする人もいて、過度なネット依存進行で人間は考えるということが減り、インプットした人の考えを見るだけの世界に陥ってしまうという危険性があります。
勿論、ネットは調べ物をする上で大変便利で効率的であることは間違いなく、私自身もそれ自体非常に喜ばしいことだとは思うのですが、ネットから収集した情報をコピペで他人の思考・判断・経験等々を簡単に利用し、恰も自分自身の如く文章に纏めてはいるものの実際自分で考えた痕跡なし、というのが随所に見られる現状は大いに問題だと思います。
此の「自分のアタマで考えない病」とは上記2点に始まって様々な要因が影響し合い発症しているではと思われますが、入社後も一人一人の個性・能力を見極めて伸ばすべくルーティンの中に埋没させないようなシステムもなく若者を指導する上司・先輩等もいなければ、そうした状況が改善に向かうことは有り得ないのではないでしょうか。
また、「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」(『易経』)ということがよくありますが、窮することが余りないのが恐らく今の若者の姿ではないかとも思います。
現代日本においても、我が子のためと親があらゆることをしてあげ過保護に育てるといった所謂豊かな社会に共通する一つの風潮があるが故、最近の若者のみならずある程度の中堅で益々主体性を発揮して行かねばならない年齢の大人にあっても、自立心や自主性が欠落した兆候が随所に見られるのは非常に残念なことであります。
之は『韓非子』の言葉、「厳家に悍虜(かんりょ)なく、慈母に敗子あり…厳しい家庭にわがままな召使いはいないが、過保護な家庭には親不孝者が育つ」という通りの状況の現れかもしれず、孫子が「死地(しち)に陥(おとしい)れて後(のち)生(い)く…味方の軍を絶体絶命の状態に陥れ、必死の覚悟で戦わせることではじめて、活路を見いだすことができる」と言うように、正に背水の陣を敷きギリギリの状況下で必死になって生きて行くということをもう少し経験すべきだと思います。
それは来る日も来る日も眠れぬ夜を過ごし、その中で如何にすべきかと考え抜かざるを得ない「死地」の環境下に置かれた時、人間というのはそれを克服した時に大いなる自信ができ、そして一皮剥けて人物が育って行くものだと思うからです。
今、そうした経験をする人が極めて少なくなっているような気がしており、己の足で世に立ち己の知恵と才覚で伸し上がって行くような心意気を持った人間がどんどん減っているように思われ、それぐらい親の過保護に慣れ常に守られて生きてきた若者が多くいるのではないでしょうか。
此の文脈で先日、錦織圭さんが「四大大会7度優勝で世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破り、日本人として初の決勝進出を果たし」た全米オープン決勝を見ての所感を述べるならば、同じく初優勝を目指していたマリン・チリッチ(クロアチア)と錦織さんの顔付きを相対比較した場合、チリッチからは生きるか死ぬかというレベルでの敵を圧倒する覇気というものが私には感じられました。
未だ怪我が癒えぬ中で錦織さんが必死に戦い抜き日本の歴史的快挙を成し遂げられたのは勿論心から称賛していますが、その一方で間違っているかもしれず私だけが感じたことかもしれませんが勝負の行方自体はハングリーさの塊のようなチリッチの顔を見た時に、何が何でもという気持ちの面で錦織さんを圧倒していたように感じられたわけです。
そういう意味ではオリンピックに臨むに当たり、毎回多くの選手がする「楽しんできます」といったコメントを見ていて、口でそう言っているだけかもしれませんが、「そんな人、勝つはずないだろう」と私は何時も思っています。
本来死闘であるというぐらい厳しい認識を持たねばならないと私自身は思っており、その死闘を繰り広げる中で或いは死闘に備える中で、自身の心技体を徹底的に磨くからこそ勝利に繋がると考えています。




 

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