北尾吉孝日記

『順応性と適応性』

2014年10月6日 10:50
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キッコーマン株式会社取締役名誉会長・取締役会議長の茂木友三郎さんは、「異文化に順応するのではなく、適応することが必要だ。適応性は順応性と違う。順応性というのは、一応適応はするが、元に戻らなくなってしまうことを指す。たとえば、アメリカに住んだらアメリカ人になってしまうということだ。適応性とは相手が変われば、それに応じて自分も柔軟に適応できる能力のことである。アメリカに住めばアメリカの文化に、ヨーロッパに行けばヨーロッパの文化に適応できる人でなくてはならない」と述べられています。
国語辞書を見ると、適応は「人間が、外部の環境に適するように行動や意識を変えていくこと」と、順応は「環境や境遇の変化に従って性質や行動がそれに合うように変わること」と書かれていますが、変化に合わせ様子を変えるということで言えば、適応にしろ順応にしろ環境に応じ自分を変えるわけで私には一緒では?と感じられます。
先ず以て此のの意味を調べてみるに、一つに「人に逆らわない。すなお」とあり変化があれば自分も素直に応じて変わって行くという要素が、また「相手に付き従う」ともあって「恭順の意を表する」という要素があります。
要するに順には「相手に付き従う」や「人に逆らわない」といった意味があり、環境に付き従い環境に対して素直で逆らおうとしないという感がするわけですが、もう一方のとは「ぴったり当てはまる。かなう」であり故に環境に合うよう適するということ、あるいは適するから環境に合うということです。
私としては此の順の方により素直さが表に感じられ、素直であるのは主体的でない限り出来ないことだと捉えていますから、素直な心で環境に付き従い環境に逆らおうとしない順応の方にこそ、己を自ら変えて行こうというより積極的な意志の働きに関する意味合いが内包されているような気もします。
他方適応というのは、勿論意志で以て「相手が変われば、それに応じて自分も柔軟に」変わろうとする場合もありますが、どちらかと言うとそれだけではなしに、自然環境に本能的に適応するよう持って生まれた人間としての素質・素養・能力等の類が働くケースも語感からして含まれるような感がします。
例えば、嘗てダーウィンの「進化論」に触発されたハーバート・スペンサーという哲学者が「社会進化論」を唱え、「適者生存(Survival of the Fittest)」という言葉を作りましたが、之は順応するか否かといった問題ではなく、滅びてしまわぬようその環境での適者になるべく勝手に適して行くという話であります。
氷河期に入って絶滅するしかなかった恐竜とは対照的に今日まで生き残っているアブラムシ、あるいは周囲の状況に従って本能的・体質的に変色するカメレオンを例にみても、そうした天性として備えられた能力の有無こそが、適応という場合かなり影響するのではないか思います。
また、冒頭の茂木さんの言葉に「順応性というのは、一応適応はするが、元に戻らなくなってしまうことを指す」とありますが、上記した順の字義からしても「アメリカに住んだらアメリカ人になってしま」い、元に戻らなくなるという話ではないはずです。
その変化に対して「素直に自分が適応して行く」「自らの意志を有し順応して行く」というのであれば、「アメリカに住めばアメリカの文化に、ヨーロッパに行けばヨーロッパの文化に適応できる人」のはずですから、順応であれ適応であれ「元に戻らなくなってしまうこと」はないものと私は理解しています。
以上、言葉の定義を踏まえつつ述べてきましたが、何か取り留めのない話に終始してしまいました。日本語というのは非常に難しく、分かったような・分からないようなその曖昧を脱し得ません。自分自身の浅学菲才のゆえ茂木さんが言われることの正否が私には分かりませんが、皆様は此の順応性と適応性ということに関して如何なる見解を御持ちでしょうか。




 

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