北尾吉孝日記

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嘗て『私の趣味~中国古美術収集~』(10年1月25日)と題したブログで、中国書法家協会の名誉会長を長らく務められていた啓功さんの書、「知者楽 仁者寿」を画像と共に御紹介したことがあります。
之は『論語』の「雍也第六の二十三」にある孔子の言で、「知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し…知者は変化に適切に対処していくことを楽しみとし、仁者はすべてに安んじてあくせくしないので長生きする」という意味であります。
此の意味するところは中々難しく、知者の中に仁者もいて仁者の中に知者もいますから、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」とか「知者は動き、仁者は静かなり」といった形で両者を分けなくても良いのでは?と思われ、また必ずしも分けられるものでもないと私は考えています。
司馬温公(司馬光)の『資治通鑑(しじつがん)』には、「才徳全尽、之を聖人といい、才徳兼亡、之を愚人という。徳、才に勝つ、之を君子といい、才、徳に勝つ、之を小人という…才と徳が完全なる調和をもって大きな発達をしているのは聖人である。反対にこれが貧弱なのは愚人である。およそ才が徳に勝てるものは小人といい、これに反して徳が才に勝れているものは君子という」という言葉があります。
此の徳と才ということで司馬温公は人間を大分類しているわけですが、拙著『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』(朝日新聞出版)の中でも述べた通り、例えば幕末から維新にかけての偉人、西郷隆盛と勝海舟を比べて「西郷隆盛は君子だったが、勝海舟は小人だった」と批評される方がいます。
つまり、「勝は頭脳明晰で、抜群に頭が切れる才人だったが、徳が才に劣っていた。だから小人のままで、君子にはなれなかった。一方、西郷は、徳のほうが才よりも勝っていたので君子であったというのであ」ります。
並外れた器量・力量・才能を有していながら小人に分類されている此の勝海舟のケースからも言えるように、何でも彼んでもダイコトミー(二項対立)にしてしまったりすると、何かそれで話が良く分からないようになってしまうケースが多々あります。
故に心情としては分かるものの、実際問題ダイコトミーの世界では必ずしも通じないのが此の現実世界というものであって、無理に分類する必要もないのだろうと思いますが、では先に述べた司馬温公の分類例で何が重要かと考えてみるに、それは徳が大事であると強調しているのだというふうに捉えれば良いのかもしれません。
例えば、稲盛和夫さんは「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」ということを言われており、此の「考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まであ」るもので、稲盛流に言えば「動機善なりや、私心なかりしか」ということです。
即ち、「世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の結果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとな」ってしまうというわけで、此の考え方とはそういう意味で非常に重要なものであります。
このように徳とはそれぐらい大事で、仮に才だけあって徳なかりせば寧ろ大変なマイナスの結果が生じるかもしれず、要はそこを強調したいがゆえ司馬温公も上記した分類を行っているのでありましょう。
冒頭に挙げた「知者楽 仁者寿」で言うと、仁者とは私利私欲を追うことなく心に平安ということが何時もあってストレスを余り感じることがない一方、逆に知者というのは知を巡らせ「ああでもないこうでもない」とやりながら此の現実と戦いぶつかり合って常に様々なストレスを感じる場合がある、というのが根本です。
つまり孔子が言わんとしているのは、「金を儲けよう」とか「権力を手にしよう」などと考えていると大変な事柄が沢山できてきますから、そうした私利私欲の類を排し単純に生きて行く中で楽しみというのは自然と出来るもので、「そうやって生きている方が命長しだよ」というぐらいの感じではないかと思います。
『論語』の「先進第十一の十」に、『顔淵(がんえん)死す。子これを哭(こく)して慟(どう)す。従者の曰く、子慟せり。曰く、慟すること有るか。夫(か)の人の為に慟するに非(あら)ずして、誰が為にかせん…顔回が死んだ時、孔子は悲嘆のあまり慟哭され、連れ添った門人たちが言った。「先生は大変な悲しまれようでした」。孔子は言われた。「私はそんなに悲しんだかね?あのような人間の死を悲しまないで、誰のために悲しむと言うのだ?」』という章句があります。
ちょうど顔淵とは、無欲で自分を磨くことだけに人生を費やし短命にて死んで行くのですが、孔子がその死に際して慟哭する程に悲しみに暮れた、言わば一番弟子としてある意味評価される人間になっていたのです。
栄養も全く足りていない中で抵抗力なく病にも罹り易かったのかもしれず、顔淵は命長しどころか31歳と命短しになってしまいました。しかし若くして死したものの彼にとっては、仁者としての生き方に幸福を得ていたのかもしれません。そして一つ確実に言えるのは、心の平安だけは常に保たれていたということであります。孔子は、「賢なるかな回(かい)や。一箪(いちたん)の食(し)、一瓢(いちひょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や…偉い奴だ、顔回は!路地裏に住み、食事も一椀の飯に一杯の水といった簡素なものだ。ほかの者ならその辛さに耐えきれないところだが、顔回はそれを自ら楽しんでいる。どれほど修養を積んだことだろう」(雍也第六の十一)と述懐しています。




 

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