北尾吉孝日記

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月刊誌『教育再生』第77号にある連載記事「めざせ“マナー美人”lesson19」の中で、筆者は「メリハリ、すなわち“節目”を意識することは、所作だけにとどまらず生き残る姿勢や暮らし方においても、日本人が大切にしてきたことの1つです。(中略)日本人が大切にしてきた節目の概念は、実は人生や生活を豊かにするためのエッセンスだったように思う」と述べています。
結論から申し上げれば上記見解は誤認に基づくものであり、此の節目の概念とは日本人が大切にしてきたものというよりも、東洋哲学における「節(せつ)」ということで『易経』の卦の中に一つちゃんと入っているものであります。
此の『易経』とは、漢の武帝が儒教を国教と定めた時に所謂「四書五経」の五経の一つとなったもので、東洋のみならず西洋の哲学者にあっても時代を超え随分と影響を受けていて、アーノルド・トゥインビーなどもその一人だと言われています。
その由来はと言うと、例えば安岡正篤著『易経講座』(致知出版社)の中では、「易はその昔、夏・殷から周の初め頃迄は非常に直観的なもので、当時の識者賢者が自分の理知をもっては容易に解決することの出来ない現象を超知性的に探究した。(中略)そして周代以後段々に進歩いたし、周代末期、春秋・戦国時代になって今日伝わるような周易になり、戦国末、秦・漢の初め頃に今日の易経が次第に出来上が」ったとされています。
本田済著『』(朝日新聞社)で先に挙げた節の卦を見てみますと、「節。亨。苦節不可貞:節(せつ)は、亨(とお)る。苦節貞(てい)にすべからず…節は竹のふしから、区切りがあって止まる意味になる。(中略)節ということは良いことなので、この卦に亨(とお)るの徳があるのは当然である。(中略)けれども節ということも度を過ぎれば本人を苦しめる。(中略)度外れた苦しい節というものは、これを常則として固執してはならない」と書かれています。
あるいは、此の卦に関して安岡先生は「いろんな境遇、あるいは状況に応じて自由自在に応接、進歩していくためには、しっかりとした締めくくりがなければな」らず、「いわゆる節、節操というものが必要で」あり「それを説いたのが節の卦」だと述べておられます。
此の易というものは、その根源に遡って考えますと人間世界の偉大な統計的研究ということが出来、三千年以上も前から物事が行き過ぎぬよう節・節度といったものが必ずなければならぬとする考え方がありました。ですから、冒頭で挙げた日本人と節目に関する筆者の見解のように、日本人の美点のように言うのは無理があるような気が致します。




 

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