北尾吉孝日記

『孝は百行の本』

2014年11月27日 16:30
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『論語』の「為政第二の六」に、「父母(ふぼ)には唯(ただ)其の疾(やまい)をこれ憂(うれ)えしめよ…子は、病気になって両親に心配をかけることがないようにすることこそ孝行というものだよ」という孔子の言があります。
之は「孝を問う」た孟武伯(もうぶはく)という弟子に対する孔子の答えであり、『論語』の中にはにも子游(しゆう)や子夏(しか)が孝を問い、孔子が夫々のタイプに応じ別の答え方をしている章句もあります。
現代にあって、封建的色彩を帯びたコンセプトとして此の孝を意識する人が少なからずいますが、それは間違いだというふうに私は認識しています。
「孝は百行(ひゃっこう)の本(もと)…孝行は、すべての善行の基本である」とも言われますが、親に対する孝という感情は世界共通であると共に、情愛の気持ちを子に育み育てる一つの大事な教育であります。
自分の父が父の親である御爺・御婆に孝を尽くしている姿を見、その子供も「あぁ、そうやって孝行するんだ」というふうに思って行く―――こうした孝の伝搬こそが一つ家族の絆を強めて行くものであって、之が最近非常に疎かになっているように感じられてなりません。
例えば、キリンなどは生まれて後「20分程度で立つことができるようになる」動物ですが、人間というのは生まれて直ぐにぱっと歩けるわけでなく、少なくとも3歳位までは基本親なしには生きられない動物です。
長期に亘る親の保護の下、その無償の愛を受けて少しずつ自立して行く稀な動物であり、両親を中心として親戚あるいは御縁ある人々の世話を様々受けずして、子供は成育できないのです。
人間は天と地の間に存在しており、一年目で天から気を受け天の神の意志を得、二年目には地の気を受け地の神の意志が備わるとし、そして三年目に人から気を受け、人間界の一員になるとされている、「天地人三歳」という言葉があります。
子供の成長を祝う「七五三」の儀式でも、三歳になった時に人間界に仲間入り出来たということで祝い、天地の創造主(神)に感謝するのもその為であって、「三つ子の魂百まで」という言葉が出来たのも之に由来しています。
だからこそ、その間子の成育に必要不可欠な愛情を如何なる形で注ぎ大事に育てて行くかが非常に重要であり、そしてまた取り分けそれから後、微に入り細に入り人間としてのを施して行かねばなりません。
人間は先ず五体満足に生を享けたことに感謝の念を持ち、その後に両親の深い慈しみの下ある程度一人前になるまで育ててくれた両親に対する恩と感謝の気持ちが自然と醸成されて行くのです。そして、その気持ちが次第に他の人や動植物といった全ての生あるものに及んで行くのです。そうなると今度は両親や周りの人達に対して孝を尽くすという具体的な行動にまで発展して行きます。だから愛情の一番の本が孝なのです。
従って、孝は愛情のある意味原点とも言えるもので、此の原点を有していない人は成人して結婚しても妻を愛し得ないでしょうし、友達に対しても信を持って接し得ないことでしょう。
他人から見て本当に誠実で信頼できる人だという評価を長い間に亘って得ることは、此の愛情の原点である孝がミッシングな人には難しいのではないかと思われます。孝の気持ちを持つことは非常に大事なことなのです。
勿論、不幸にして親が若くして死ぬといった状況があったとしたら、その育ての親および支えてくれた周りの人達に尚一層の感謝をして行くことが求められるのだろうと思います。
あるいは、それが施設などであったとしても、その施設で様々面倒を見てくれた人達にも感謝の念を持たねばなりませんし、そうした施設が存在していること自体にもありがたい(有り難い)と感謝をせねばなりません。
自分は恵まれなかったと思いながらずっと生きて行くのではなく、そうした状況であったにも拘らず周囲の御蔭で自分は成育できたと感謝をし、自分もまたそうやって恵まれない人のために尽くして行こうという気持ちが起こるか否かは、その人の人間的成長にとって大変重要なポイントです。
人間として誰かのサポートなしには生きられない状況で生きてきたこと、そして無事生きてこれたことに対する感謝の気持ちといったものが孝という形になるのであって、孝というのは何も通常言われる親孝行だけを指したコンセプトではありません。
そうした広い意味を内包する此の孝を仮に親孝行と呼ぶとしたら、親孝行というのは全ての愛情の基本であり、親を愛せない人が他人を愛せるはずがないと思います。




 

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