北尾吉孝日記

『惻隠の心は仁の端なり』

2014年11月28日 19:00
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『論語』の中に、「仁を為さんことを問う…仁者になるにはどうしたらよいか尋ねた」弟子の子貢(しこう)に対し、孔子が「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器(き)を利(と)くす。是(こ)の邦(くに)に居りては、其の大夫(たいふ)の賢者に事(つか)え、其の士の仁者を友(とも)とす」(衛霊公第十五の十)と答える章句があります。
即ち、孔子は「職人が良い仕事をしようと思えば、まず道具を磨くのが大切である。ある国に住んだら、そこの大夫の中の賢徳の者に仕え、彼らの中の仁徳のある人と交際することである」と言っています。
『論語』の影響もあって、私は比較的早い時から自らの価値判断の基準として、「信…約束を破らないこと」や「義…正しいことを行うこと」と共に、「…思いやりの精神」ということを常日頃から心掛けるようになりました。
此の仁の身に付け方で言うと、嘗て私は「今日の孟子(19)」として、『惻隠(そくいん)の心は仁(じん)の端(たん)なり。人の不幸をいたむ心は仁という大道の端所(たんしょ)だ。有名な「四端の説」の最初です』とツイートしたことがあります。
惻隠の情」つまり「子供が井戸に落ちそうになっていれば、危ないと思わず手を差し延べたり助けに行こうとする」人として忍びずの気持ち・心は、人間皆生まれ持ったものであり本来そうした気持ちが備わっているはずだと孟子は言うのです。
基本的に私が性善説に立っているが故そうした物の考え方をするのかもしれませんが、本来人間は皆「赤心(嘘いつわりのない、ありのままの心)」で無欲の中に此の世に生まれ、誰しもが持っている良心というのは欲に汚れぬ限り保たれて行くものであります。
にも拘らず、段々と自己主張するようになって私利私欲の心が芽生えてき、そして私利私欲の強さに応じて次第に心が雲って行くわけで、仁の心を伸ばす上でも・育てる上でも此の私利私欲をなくすことが一番大事なのだと思います。
だからこそ、老子は「含徳(がんとく)の厚きは、赤子(せきし)に比す…内なる徳を豊かに備えた人の有様は、赤ん坊に例えられる」と言い赤心にかえれとし、また『大学』では「明徳を明らかにする…自分の心に生まれ持っている良心を明らかにする」ことが大切だと「経一章」から教えているのです。
『三国志』の英雄・諸葛孔明は五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた手紙の中に「澹泊明志、寧静致遠(たんぱくめいし、ねいせいちえん)」という、遺言としての有名な対句を認(したた)めました。
之は、「私利私欲に溺れることなく淡泊でなければ志を明らかにできない。落ち着いてゆったりした静かな気持ちでいなければ遠大な境地に到達できない」という意味で、やはり此の私利私欲を如何に遠ざけるかが、仁の気持ちを得る一番の方法だと私は思っています。




 

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