北尾吉孝日記

『凡か非凡か』

2016年5月6日 16:55
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その人が凡か非凡かを判定できる機会は基本的に、中々解決し難い重大事が起こって初めて訪れるものだと思います。
その重大な難局における処理の仕方、つまり冷静沈着な態度を持って様々な角度から本質を見失うことなく解決できるかどうかで、非凡か否かが分かるわけです。
安岡正篤先生のを借りれば、「難局に当つて能く活機を知り、思いきつて旧来の惰性を破り、新態勢を執(と)ることのできるのは非凡な人物である」ということです。
従って普通「死活の機」に出くわすことは少ないですから、本来非凡の才を得た人物であっても世に分かられぬまま、凡人として過ぎ行くケースは多く見られるものです。
例えば、西郷隆盛は生涯2度の流刑に処されました。奄美大島への一度目は薩摩藩が俸禄を出していたので、実質的に島流しとは言い難いのかもしれません。
しかし、徳之島・沖永良部島への二度目に関しては完全な流罪であり、衰弱しきって本当に生きるか死ぬかの状況にまで追い込まれて、歴史上から西郷隆盛という人間の存在が無くなっていても可笑しくはない位でした。
他方この流刑が彼の人間というものを創る上で、大変プラスに作用したという側面もあります。は島流しの度、人間学の書を持参して不屈の精神を持って学び続け、不遇の境涯の中で独りを慎み、自らを鍛え抜いて大変な人物となったのです。
そして死活の機を得て勝海舟との会談に及び、大戦争を起こすことなく江戸無血開城へと持って行ったと言うのです。此の決着を見るに、両者共に極めて重要な役割を演じたわけで、之など正に非凡の極みというものであります。
もし西郷がそうした機に巡り合うことがなかったら、「大西郷」と言われるようにもならなかったことでしょう。人間の運命というのは、実に不思議なものだと思います。
更に、日本の国運も強かったとも私は思います。仮に日本の国運が弱かったらば、薩長を中心とする輩と幕府軍が戦って、その隙に西洋列強が植民地化すべく日本に入り込んでいたのではないでしょうか。
そうならば現在の我国の姿は、無かったでしょう。そういう意味では、日本の国運が強かったとも言えるでしょうし、またそういう立派な人物を育て上げる風土もあったということでしょう。
最後に一言、西郷隆盛の『南洲翁遺訓』の中にある次の言葉を御紹介しておきます--至誠の域は、先ず慎独より手を下すべし。閑居(かんきょ)は即ち慎独の場所なり。
独りを慎み、即ち睹(み)ず聞かざる所に戒慎(自分を戒めて慎む)することが、己に克つ具体的修練の方法であり、それによって私心を無くし、誠の域に達することが出来る。
つまりは、慎独が誠意・誠実・至誠といった域に達する為の非常に大事な修業になる、と西郷は言っているのです。




 

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