北尾吉孝日記

『人相というもの』

2018年2月19日 15:35
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定期購読誌『ハルメク』2018年2月号の連載記事「村木厚子 毎日はじめまして」は、「政治家と顔」と題されたものでした。御承知のように、元厚生労働事務次官の村木さんは、所謂「障害者郵便制度悪用事件」で「冤罪」を被られた方です。彼女は同世代人に対し、当該記事の結語として「私たちの厳しい目、考え抜いた一票で、若い人たちと共にいい顔をした政治家を育てませんか」と書かれていました。
「顔にはすべてが表れる」とはよく言われますが、一概に顔でどうこうと人物を推し量るは難しくまた危険だと思います。孔子でさえ澹台滅明(たんだいめつめい)が入門して来た時、余りにも容貌が醜かった為「大した男ではなかろう」と思っていたら、実は大人物であったという失敗談が『論語』にもある位です。ちなみに澹台滅明は、同じく孔子の弟子である子游(しゆう)が武城という国の長官となった時、部下として取り立てられ、その公平さを賞賛されています。
尤も、人間、顔であらわれる部分も勿論あると思います。例えば、エイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)も「四十を超えたら、自分の顔に責任を持て」という言葉を残しています。知人がリンカーンの所にやって来て、「この人をあなたの下で働かせてくれないか」と、ある人物の紹介をしました。彼にとってその知人は恩人とも言える人でしたが、結局その依頼を断ったのです。その理由は、「彼は顔が悪い」というものでした。
あるいは、あのナポレオン・ボナパルトを失脚させたアーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)もリンカーン同様、やはり顔に一面出て来るその人間の品性、生き方や考え方を見て人を判断していました。その典型が言ってみれば人相学というものに繋がっていて、中国でも長年に亘り人相というものを大事にしてきています。
昔し、小生のことを可愛がってくれた啓功さんは、若き日に此の人相学を研究されていました。啓功さんは、正に世が世なら皇帝になっていた家柄(愛新覚羅)の直系です。中国の書法家協会の名誉主席を長らく務められ、中国でも非常に尊敬される大書道家であります。また、此の方が本物だと言えば本物になる位、骨董品等の鑑定では大変な眼力の持ち主でした。
その啓功さんと初めて御会いした時、どういう訳か私の人相を気に入って下さり、私の顔を見て「あなたは、気宇壮大だ」と言って下さりました。気宇壮大(きうそうだい)とは、「心意気がよく度量の広いこと。構想などが大きく立派であること。また、そのさま」といった意味になります。私は北京を訪問する時に都合がつけば啓功さんを北京師範大学に訪ね、その御縁を大切にしていました。




 

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