北尾吉孝日記

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私はTwitter上で野口悠紀雄(@yukionoguchi10)さんをフォローし、日々そのツイートを目にしています。その中に「猿は、同じ大きさのバナナを2つ与えられて1つを選ぶよう迫られると、どちらを選んでよいか分からず、結局餓死してしまうそうだ」(18年8月4日)というツイートがありました。
此の言に対しては、「決断するということは、実は高度な知性が必要な営みだということでしょうか?」とか「横から違う猿が一個取って行ったら、自ずと生きていける。って事ですか?搾取が正義的な??真意がわからないです」とか、あるいは「嘘だと思いますw」といったリプライが為されていました。
私の場合、「人間も色々だから、猿も色々?猿にも個性があるのでは?中には優秀な猿もいるのではないか?」と思い、「画一的に全ての猿が、そういう事ではないだろう。しかし、実際の所どうなんだろう・・・」と思いながら、リツイートしました。
もう少し詳しく述べますと、嘗て読んだ世界的ベストセラー『ビジョナリー・カンパニー』(Jim Collins著/1995年/日経BP社)をふと思い出し、人間と猿を比して「どちらを選んでよいか分からず」というのを考えました。
同書の中に、『「ORの抑圧」をはねのけ、「ANDの才能」を活かす』という「挿話」があります。之は、ビジョナリー・カンパニーと言われる会社の多くが「一見矛盾する逆説的な考え方を持っている」といった話です。より具体的には、以下の例等が挙げられています。

・利益を超えた目的 と 現実的な利益の追求
・揺るぎない基本理念と力強い変化 と 前進
・社運を賭けた大胆な目標 と 進化による進歩
・理念の管理 と 自主性の発揮
・長期的な視野に立った投資 と 短期的な成果の要求
・哲学的で、先見的で、未来志向 と 日常業務での基本の徹底

「AかBのどちらかでなければならず、AとBの両方というわけにはいかないと考える」のは、ビジョナリー・カンパニーでありません。ビジョナリー・カンパニーというのは、「理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する」のです。
人間の世界には必ずしも二者択一でなく、最終的には正反合(ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階。定立・反定立・総合)の合に持って行けるような知恵、更には正(命題)とも反(反命題)とも分からなくなってしまうような解、といったものもあり得ます。
そういう意味ではそもそも猿は、合(中庸)を追求出来ないのかもしれません。私は野口さんのツイートを見た時に、正しいとか間違っているとか良いとか悪いとかは別にして、上記の通りのことが頭に浮かびました。本ブログを読まれた皆様は、如何に思われたでしょうか。




 

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