北尾吉孝日記

『偉大とは?』

2020年11月9日 13:55
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『プレジデント』(2020年9/4号)に、「ビル・ゲイツ◎自分の才能に目覚めよ! 個人の能力を『最大化』する7つの方法」という記事がありました。筆者はその中で、ビル・ゲイツが「自身の能力を最大化した7つの要因」に、集中力と勝負へのあくなき欲求・「質問力」・知と技術で解決できるという信念・失敗にこそ価値を見出す・「フィードバック」、等を挙げています。
しかし、そうして己の能力を最大化できたとして、その人が果たして偉大な人だと世に思われるでしょうか。偉大とは、世のため人のためにどれだけのことを為したかでしょう。「質問力」などは、こうした観点からすれば「それが有ったからどうなの?」といった程度の話です。
『論語』に、「巧言令色、鮮(すく)なし仁」(陽貨第十七の十七)、あるいは「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し」(子路第十三の二十七)とあります。前者は「口先が巧みで角のない表情をする者に、誠実な人間は殆どいない」、後者は「意志が堅固である、果敢である、飾り気がない、慎重である、このような人は仁に近いところにいる」といった意味になります。これら孔子の言からすれば、ビルの上記の論は、全く異質のもので偉大になるためには別の修養が必要でしょう。
真に偉大な人物であるかどうかの判定は、何十年・何百年経ってから為されることでしょう。例えば約2000年前にはキリストが生まれ、その500年程前には孔子や釈迦あるいはソクラテスといった人物が生まれています。これらの人達は、偉大であると言っても余り否定する人はいないと思います。
これら偉人に纏わる古典は、本人による著作ではありません。『論語』は孔子自らが書いたものではなく、釈迦やキリストにおいても伝聞されて行ったものを弟子達が全て纏めました。そうして今日迄ある意味最も人類に影響を与えた「古典中の古典」と言い得る書になっており、今なお世界各国の様々な人々に感銘を与え続けているわけです。こうしたことが、偉大ということでありましょう。
あるいは、こうした思想的な面だけでなく後世の人々が偉大だと考えるのは、例えば世界中で人口に膾炙(かいしゃ)するようなトーマス・エジソンの発明や、ごく普通の人迄もが偉大な発見だと思っているチャールズ・ダーウィンの「進化論」等、発明とか発見とかが対象かもしれません。人類社会の進歩発展に多大なる貢献を果たしたのであれば、それは偉大ということになりましょう。
どれだけの金を儲けたとしても、人々は偉大だとは言いません。財を築いた上で、世のため人のために何を為したかが大事なのです。例えば「金持ちのまま死ぬのは不名誉なことである」との言葉を残した鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、冒頭挙げたビル・ゲイツが範にしている社会的貢献の一つの考え方を打ち出した人物です。
カーネギー曰く、「金が貴いのは、それを正しく得ることが難しいからである。さらに正しく得たものを正しく使うことが難しいからである」、とのことであります。彼のような大人物の名は偉人としてずっと後世に語り継がれる一方で、所謂「成功者」の名の殆どは何れ消えて行くということです。




 

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