北尾吉孝日記

『偉大な人とは』

2017年8月28日 16:55

当ブログでは嘗て、「偉人は四十頃からぼつぼつスピードを掛け出すが、凡人は四十歳頃から早くも力が抜け出す」(16年10月31日)とか、「偉人と凡人の差も、結局はこの生から死への間をいかなる心がけで過ごすかという、その差に外ならぬ」(15年8月6日)といった、森信三先生の言葉を御紹介しました。
此の偉人と凡人ということで、明治時代の評論家・思想家である高山樗牛(1871年-1902年)は、「偉人と凡人との別は一言にして尽すべきのみ。彼れは人生を簡単にする者也。此れは人生を複雑にする者也」と言われています。そしてそれに続けては、「本能の命ずる所、其処に人生の最も大いなる事実あり。夫の煩瑣を以て精緻と称し、迂遠を以て妥当と為すもの、そもそも人生直下の事実を如何とか見る」と言われています。之は私には分かったような分からないような言葉に感じられます。
此の「人生を簡単にする」「人生を複雑にする」とは先ず、誰の人生を指してのものかが不明瞭に思います。また、簡単・複雑という意味は具体的に何を言うものか等、良く分からない部分もあります。高山樗牛は評論家としても一流であったのは事実ですが、上記言葉に関しては私には十分理解出来ません。
私自身、偉人あるいは偉大な人とは、「無から有を生ずる人」「不可能を可能にする人」「今まで非常識だとされていたことを常識に変える人」のどれかに該当する人、として定義しています。また、「偉大とは人々に方向を与えることだ」というニーチェの名言をよく引用したり、「本当に偉大な人とは死して尚、何代にも亘って影響を及ぼせる人」という言い方もしています。
あるいは7年程前、「人間は社会の存在なしに生きていけないのです。人間各人が社会の一員であり、相互依存関係の中で生かされてるわけです。こうしたことを自覚したとき世のため人の為という心が芽生えるのです。自分の小欲に克ち、社会の為にという大欲に生きる人が偉大な人なのです」とツイートしたこともあります。
私は、偉大とはそういうものだと思っています。ですから、偉人には人類社会の進歩発展に多大なる貢献を果たされているような人が多いのです。ノーベル賞を授与された人達は、こういう類でしょう。要は具体的に言えば、我々がより良き生活を送るべく、何かを生み出したり改善した人々が偉大だということです。




 

『人を説得する』

2017年8月22日 12:25

話し方ということでネット検索してみますと、『「話がわかりやすい」人は一体何が違うのか』(東洋経済オンライン、17年02月21日)といった類の、分かり易さに関する記事も数多く見られます。
本テーマで私見を申し上げれば、分かり易い話し方とは簡単な言葉で自分の言いたい事柄を上手く説明出来ることだと思います。自分が良く分かったことは噛み砕いて人に説明出来るようになりますから、他人が分かりにくいということなら、自分が本当に分かっていないのではないでしょうか。
物事には順序というものがあって、何事でも起承転結と言いますが、此の結を先に持ってきても構わないと思います。そして順を追ってその理由をロジカルに説明出来る状況が、望ましいのではないかと思います。
例えばプレゼンテーションの流れ一つを見ても、此の起承転結の流れを作って行ける人が意外と少ないことに私は何時も驚きます。では何故そのように少ないのかと言いますと、人を説得するトレーニングが不十分だからだと思います。
概して、多くの人は自分の言いたいことは考えるものの、どう言ったら他者が納得してくれるかと考えることに疎かです。人に分かって貰おうと思うならば、やはりそのこと自体を真剣に考えなければなりません。
自分が描くビジョンを達成するには、様々な人を説得したり、色々な人に納得して貰う必要性が出てきましょう。従って、その辺りのトレーニングを積んで行くことが非常に重要になるのです。
例えば私は野村證券時代、米国の海外投資家に日本株を売るといった時に、そのポートフォリオマネジャーの興味関心や運用哲学、運用方針等々と、敵を知り敵の興味を引くことを先ず大事にしたものです。
何故なら相手が関心を示さぬ話を幾ら続けてみても、時間の無駄に終わることが殆どだからです。だから私は第一に、相手のことを調べ上げたのです。そしてその上で今度はそれに合わせて説得すべき事柄、あるいは説得の仕方等々を考えたというわけです。
孫子』に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」とあるように、相手がいる以上やはり相手を考慮せずに何事をやるわけには行きません。之も人に納得して貰ったり、分かって貰うために一つ重要なポイントだと思います。




 

『人生は自分探しの旅』

2017年8月16日 15:00

松下幸之助さんの御著書『道をひらく』三部作の完結編、『思うまま』の中の一篇に「喜んで聞く」というのがあります。松下さん曰く「自分の欠点というものは、自分では気がつきにくいし、また気がついても進んでそれを改めることはなかなかむずかしい。しかし、他人から何べんも指摘され注意されるならば、その欠点に気づくし、それがだんだんと直ってくるのではないだろうか」ということです。
要は自分自身は、分かっているようで中々分からないものであり、自分自身を知ることは古代より人類共通のテーマになるのです。だからソクラテスは「汝自身を知れ」と言い、ゲーテは「人生は自分探しの旅だ」と言っています。あるいは真の自分自身を知ることを、儒教の世界では「自得」と言い、仏教の世界では「見性(けんしょう)」と言います。心の奥深くに潜む本当の自分自身、己を知るのは極めて難しいことなのです。
従って、自分のことは自分では中々知り得ないのですから、時に人から教えて貰わなければなりません。他人の指摘により、はっと気付かされることは意外に多くあるものです。此の世の中、自分のことはさて置いて人の粗捜しは上手い人は数多いるわけですが、彼等は上記した意味で貴重な存在だと私は思っています。彼等の言より「なるほど~」と気付いた点につき、己を改めるべきはどんどん改めて行けば良いでしょう。
天は我に、如何なる才や特質を与えて、如何なる使命を果たさせるべく、此の世に遣わしたのか?此の質問に答えるために、他人のダイレクトな指摘が役立つのです。但し、松下さんも言われる通り「もし、欠点を指摘されて腹を立てたり不機嫌(ふきげん)になったりするならば、人は陰で言うだけで、本人には直接注意してはくれないようになる」でしょう。
従って、誰かに何かをチクリと刺されても、怒るのでなく素直に聞き入れ自省する、といった姿勢が大事だと思います。そして、その指摘が全くナンセンスなものであったらば「これこれかくかくしかじかだから、之は完全に的外れだなぁ」と内心思って置けば良いのです。そうして自分を良き方向に築いて行けば良いのです。




 
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