北尾吉孝日記

『活学というもの』

2021年12月8日 14:30

私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生曰く、「学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、どうしても自分の身につけて、足が地を離れぬように、その学問、その思想をもって自分の性格を作り、これを自分の環境に及ぼしてゆくという実践性がなければ活学ではない」ということです。
また先生は、南北朝時代の臨済宗の僧である虎関師錬禅師の言葉、「古教照心・心照古教」を挙げられて、「古教・心を照らすことはまだ行うことができる。心・古教を照らすに到って、真の活学というべきだ」とも述べておられます。「心が照らされるのではなくて、心がすべてを照らしてゆくような学問」が大切だと言われるのです。
そしてその為には、「自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読む」ことだとされています。例えば「人間、いかに生きるべきか」を教える実学・活学の真髄ともいうべき書、『論語』を読んで問題意識を持ち、それを哲学的・科学的また体験等によって実証して行くことです。そこまでして漸く生きた学問、活学になるというのです。
要するに活学、学問が活きるとは、結局は主体性を持ち実践に移すということに繋がっており、言わば陽明学の祖・王陽明の言、「知は行の始めなり。行は知の成るなり」(『伝習録』)そのものであります。行を通じ、知で得たものを自分の血となり肉となるようして行くということです。
実践を伴わない学問には意味がありません。学んだ事柄を自分自身の生活において知行合一的に実践し、更に磨きを掛けなければ駄目なのです。学びを自分の方へと引き寄せて考えて見、自分の心の中でよく咀嚼し理解し血肉化させて、日常の中で活かして行くのです。これ正に活学というものであり、之が事上磨錬というものであります。
安岡先生は『人生の大則』の中で、次の通り述べておられます--儒教にしても仏教にしても道教にしても、神道にしても、そういう祖先以来の法蔵・道源をさぐれば限りなくある。ただしそれが何人かの熱烈な内面生活を通じて初めて生きてくるのであって、個人個人の魂を通ぜざるかぎり、人格を経由せざるかぎり、いかなる学問も信仰も、それは山の中にある原鉱石や、地中に埋もれておる木の根と同じである。
学問や信仰というものは個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならないのです。魂から発するような活学をする為には、色々な体験・経験を経なくてはなりません。『論語』一つを読むにしても、体験や経験を積む程に言葉の深い意味が少しずつ理解出来るようなって行きます。勿論、知識も蔑ろには出来ません。そういうベーシックなものの上に、体験・経験を積み上げて行くような理解の仕方が大切だと私は思います。




 

「何で勝つのが決まっているのに止めたんですか?」とか、「北尾さん、流石に面白いタイミングで止められましたね」とかと、多くの人から様々なメールを頂きました。
新生銀行の工藤英之社長とも、御互い此の件については多くは語らない、ということで合意しており、然もそれは私が言い出したことですから余り語りはしませんが、私が此の結論を導き出した思想的背景だけ皆様に説明致しておきます。如何なる思考に基づいて今回の結論を自分で導き出したか、といったことを本ブログに認めておくということです。
一つは、「信・義・仁」という三つの漢字です。私は常に、「信…信頼を裏切るような事はないか?」「義…社会的正義に照らして正しい事か?」「仁…相手の立場になって物事を考えているか?」、これらをあらゆる判断をする場合の規矩としています。
「義」において、私は公的資金3500億円を返すことが大義であると度々申し上げてきており、之につき一点の曇りもありません。また「信」についても、「政府、新生銀の防衛策に反対検討 SBIの買収戦略を評価」ということですから、之をやって社会的信用を落とすこともありません。
では何が私を変えさせたか言えば、それは「仁」であります。あの決戦場で新生銀が完膚なきまでに仮に負けたとしたら、経営陣は兎も角どう従業員は思うか、といったことを相手の立場で今一度考え直してみたわけです。
そして、次に思い出したのが孫子の言葉、「百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」です。やはり此の孫子に従って、「善の善なる者」を追求することが上策だと思いました。
更にもう一つ最後に考えたのは、PMI(post-merger integration)です。此の統合プロセスがM&Aの成功を左右すると言われていますし、実際その通りだと思います。今回の件で間違っても、新生銀の数多の優秀な人材が進駐軍に占領されたといったふうに思ってはなりません。私が目指すは正に、新生銀行グループとSBIグループが一体となって心を一にし、そして収益力を上げ公的資金3500億円を返済するという大義を果たすこと、こそです。
それを考えると小戦に勝った負けたなどと言うよりも、寧ろ現マネジメント・工藤さんとも虚心坦懐に話をし、彼と共に此の大義のため一緒になって努力して行きたいと思いました。そうすることで、これから両グループ力を合わせてやって行くことが出来、今後生じる様々な事柄もスムーズに行くのではないかと思いました。
以上、「信・義・仁」の三文字、「善の善なる者」の追求、買収後の統合プロセス、の三点が私の頭に去来し、今回の結論に至った次第です。




 

『選挙を通じた雑感』

2021年11月18日 18:00

ひと月程前、私は『野党共闘に思う』と題したブログを書きました。政道(…政治の思想・哲学に当たる部分)なき政治は退廃に向かうより他なく、それは過去が証明している所である等と指摘したわけですが、今回の結果つまり立民・共産の敗北は、基本その正しさを改めて示すものとなりました。
その中で、漁夫の利の如きを得たのが何所かと言えば、御承知のように維新と国民です。維新は、その議席数を凡そ4倍にし、第3党に躍り出ました。これからの一つの流れとして自民・公明の対立軸は、立民・共産でなく維新・国民が形成して行くのではないかと見ています。
唯、自民・維新がもっと近くなって行くといった状況も生じるかもしれません。私は、今回公明が掲げた「バラマキ公約」につき全くナンセンスだと思い、好ましく捉えていません。今時分もう少し有効なお金の使い方があると思います。月初より見られた光景は、自公連立の限界・弊害を如実に物語っていると思います。
公明の獲得議席数は精精30程度で、今後も飛躍する可能性は見込めません。他方、維新・国民が上手に全国展開出来たとしたら、公明に代わる勢力に成り得、自民からすればより頼りになる存在に成長するかもしれないです。同時に此の勢力から、自民は様々な事柄で牽制を受けることになるでしょう。
一党独裁的な政権が続くのは望ましくなく、やはり日本でも将来二大政党制が形作れたらと思います。嘗ては民主党の体たらくでその芽は潰え、大失敗に終わりました。これから後、維新・国民とり分け維新が如何なる変身を遂げて行くかが、日本政治の未来を左右することになるのではないかという気がします。
それからもう一つ、これまでのように野党勢力が御粗末な場合、派閥が機能し自民内部で政策的に切磋琢磨が出来るという良い部分もあるように思います。
菅前首相は派閥を持っていなかったが故、政権維持が困難になりました。歴代総理の中で最も仕事師であったと言っても過言でなく、その短い在任期間における仕事は極めて重要かつ大なるものであったにも拘わらずです。
新型コロナ関連の各種対応は言うまでもなく、菅さんは、学術会議の改革に向けた動きに始まり、福島第1原発の処理水の海洋放出の決定、デジタル庁の創設、コロナ禍でのオリンピック・パラリンピックの遂行、50年脱炭素目標の表明、携帯料金値下げに向けた「アクション・プラン」の公表、不妊治療への保険適用拡大の閣議決定、気候変動サミットでの30年目標の表明、等等と数多の成果を残されました。
総理として僅か1年で之だけやれる立派な人物は先ず居ないだろうと見ていましたが、結果として派閥による多数の力で潰されてしまいました。従って菅さんも此の際良い意味で派閥を持つことは大事ではないか、という気がしています。




 
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