北尾吉孝日記

『年頭所感』

2020年1月6日 11:15

明けまして御目出度う御座います。

それでは、早速吉例に従い、今年(令和二年)の年相を干支でみましょう。
今年は十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせで言うと「庚子(こうし・かのえね)ということになります。

先ず、古代中国の自然哲学である陰陽五行説で見ましょう。五行説では、十干と十二支の漢字にはそれぞれに五行(木、火、土、金、水)という五つの性質のどれかがあるとされています。庚子の場合、庚(十干の七番目)は金性の陽、子(十二支の一番手)は水性の陽であり、「相生」の関係になります。相生とは、木、火、土、金、水と順送りで相手を生み出して行く関係を言います。この庚子のケースでは、「金生水(ごんしょうすい)」と言い、金属の表面には凝結により水が生じると考えるわけです。相生は「相性」の語源であり、相性の良い組み合わせであり、最近の相生関係は二〇一四年の「甲午(きのえうま・こうご)」まで遡ります。つまり、六年ぶりで相性の良い干支の年がきたのです。
相性が良いという事は、良い年になる可能性が大きいという事です。

この事を頭に置き、次に庚子が具体的にどんな年になるのか、庚と子のそれぞれの字義を見て考察しましょう。
先ず、「庚」の象形文字は杵(きね)を両手で持ち、搗(つ)いている形です。従って、庚の原義は、杵を執って臼で穀物を搗くことと考えられます。穀物を搗くには、繰り返し搗き続けなければなりません。そこに継続の意味が生じます。搗けば穀物は変化するから更(かわ)る、更新という意も生まれてきます。後漢の班固の著した『白虎通義』には「庚は物更(あらたま)るなり」とあります。『説文解字』にあるように「庚々」と言えば、穀物の実(みの)る様を言い、明瞭な変化の相です。
また『礼記』の檀弓(だんぐう)下では、庚を償(つぐな)うという意味に用いています。
このように「庚」には①継承・継続する。②更(かわ)る。③償う。の三義があります。
「子」の字義に移りましょう。「子」は十二支の最初です。「子」は「了」と「一」との組み合わせで、「終わり」と「始まり」、つまり始末という意味です。物事が始まるには終わりがなくてはならないのです。
また、中国の『漢書律暦志』によると、「子は孳萌(じぼう)なり」とあり、植物の芽が次々と出始めるあり様を示し、新しい生命が種子の中に創造されつつあるとしています。『説文解字』には「子」は「陽気動き、万物滋入す」とあり、陰気が極まって陽に転じ、原点に返って万物が盛んとなり始めるということです。易でいう「一陽来復」と呼ばれる現象です。以上、「子」は陽気の到来による①新たな局面の展開と②物事の増殖を意味していると言えましょう。
こうした解釈は「子」の甲骨文字が子供の頭髪がどんどん増えて伸びる様子の象形文字であることに由来していると思われます。

前記の両方の字義をまとめると庚子の年には、先ず新たな局面が展開するという認識を持ち、継続すべきことと刷新すべきことを峻別することが必要です。そして、因習を打破し、諸々の汚れを払い浄めて償(つぐな)うとともに引き継ぐものは断絶することなく、思い切って新しい局面や環境に対応すべく更新し、進化させて行かなければならないという象であります。
そうすることで動き始めた陽気により、新たな芽吹きと繁栄が始まるということです。そもそも庚子は相性の良い相生関係にある組み合わせですから。

史実の歴表に徴してみますと、前記してきた庚子の年相がよく御理解いただけると思います。六〇年前(一九六〇年)の庚子の年の象徴的な出来事を列挙しましょう。
第一は、日米安保条約の改定です。当時、大学生や高校生までが街頭デモに多数参加し、社会は大揺れでした。反対を押し切って安保の強行採決をした岸内閣が混乱の責任を取って総辞職しました。この日米安保条約がなければ、北朝鮮や中国、ロシアの核の脅威に処する術がないことを考えると当時の岸内閣の英断に感謝すべきではないでしょうか。これに対して異論もあるかもしれませんが、少なくとも六〇年間、日本は戦争に巻き込まれずに経済的繁栄を謳歌することが出来たことは紛れもない事実なんですから。
第二には、岸総理の退陣を受けた池田内閣の誕生です。池田首相と言えば、何と言っても「所得倍増計画」です。十年間で国民所得を倍にするという計画です。これも後から振り返ると、計画を大きく超える成果を上げました。倍増ですから「子」の増殖に通じるものがありますね。余談ですが、子年には首相交代が多くありました。この岸さんから池田さんも一例ですが、その他二〇〇八年には福田康夫さんから麻生さんへ、一九九六年には村山首相が退陣し、橋本龍太郎さんへの交代がありました。今年もありそうな雰囲気ですね。ずっと遡ると、四二〇年前の庚子の年つまり一六〇〇年には、天下分け目の関ヶ原の合戦があり、徳川家康が豊臣家を滅ぼし天下を取りました。
第三は、カラー放送が開始され、松下電器がカラーテレビ第一号機を価格五〇万円で発売。一九五〇年代の三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が普及し、繁栄の象徴とも言える新たな三種の神器(カラーテレビ、クーラー、カー)の時代に入っていき、これが日本のさらなる高度成長をもたらしていきました。消費財ということで言えば、この年日本の大衆向け煙草の代表的銘柄であるハイライトが発売され二週間で四億本以上が売れました。
第四は一九六〇年は「アフリカの年」とも言われました。この年にフランスからの十三ヶ国を含め合計一七もの国が独立しました。アフリカの人口は、特にこの四〇年はねずみ算的に増えています。まだ十分な経済成長を伴っていませんが今後は急速に変化していくでしょう。

さて、こうした庚子の年相を踏まえ、我々SBIグループの全役職員には、次の四点を肝に銘じていただきたい。
第一に、グループ挙げて国家目標でもある地方創生に貢献していくためこれまで三年間にわたるビジョンと戦略を選択的に継続し、進化させていくことに全力を尽くして戴きたい。
第二、今年はこれまで以上に長期的視点に立ち、今後の飛躍的発展に向けた周到な計画と準備をし大胆にチャレンジする年としたい。
第三に、米軍がイランの国家的英雄であるイスラム革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したことで日本の株式市場も出鼻をくじかれた状況ですが、干支にちなんだ株式相場の格言にあるように「子は繁栄」で持ち直すと思います。ただ、我々はオリンピック・パラリンピックの経済効果に浮かれることなく常にねずみのような鋭敏な勘とひらめきを醸成するよう常日頃から心掛けることが肝要です。「ねずみは沈む船を去る」とか「火事の前にはねずみがいなくなる」とか昔から言いますが我々もねずみのように危機を未然に察知し、難局を回避しなければなりません。
最後に、今年、金融業界は再編の嵐が吹き荒れるでしょう。我々SBIグループはこの嵐をチャンスとして捉え、確固たる戦略を持ち庚子の年に相応しい大飛躍を遂げようではありませんか。




 

『命を全うする』

2019年12月27日 10:20

ダイヤモンド・オンラインに今年7月、「死の直前、人が最も多く後悔する5つのこと」という記事がありました。その5つの後悔とは、①自分に正直な人生を生きればよかった、②働きすぎなければよかった、③思い切って自分の気持ちを伝えればよかった、④友人と連絡を取り続ければよかった、⑤幸せをあきらめなければよかった、とのことです。これらは私にとってクエスチョンマークが付くものばかりですが、皆様は如何に思われたでしょうか。
私自身は、人間常にいつ死んでも良いようにしておかねばならない、と考えています。人間は必ず死すべきものであり、また、いつ死ぬかは分からない存在です。それは全て、天命です。仮に平均寿命まで生きることを前提とするならば、a.その自分の人生の中でどういう自分をつくるのか、b.自分の天命とは一体何なのか、c.その天命を果たすべく此の世でどのような努力をして行ったら良いか、等々を深く考えて生きて行かねばならないと考えています。
は此の世に生まれた人間としての役割、他の動物にはない「人間性」というものを天から受けています。之は人間には人間としての生き方や役割があるということで、即ち天が人間に使命(ミッション)を負わせ此の世に送り出したということです。全ての人間は此の世を良き方に向かわせるべく存在し、此の世の進歩発展を永続化するための遺産を残さなければなりません。換言すれば、世のため人のために生きるよう天意を受けているのだと思います。
使命とは文字通り「命(いのち)を使う」ことでありますが、では「何のために命を使うか」と言えば、それは自らに与えられた天命を明らかにし、その天命を果たすためです。人間みな生まれた時から棺桶に向かって走っており、そして人生は二度ないのです。一たび過ぎ去った時間は二度と取り戻し得ない、大変貴重なものであります。私は、一時一時を大切にし寸暇を惜しみ自らの天命を果たすべく一生懸命に全力投球して行く、ということが大事だと思っています。
冒頭「死ぬ瞬間の5つの後悔」に平均寿命まで生きた人がさいなまれるとすれば、その人達は確固たる死生観を持たず何も考えてこなかったのではないかと言わざるを得ないでしょう。人間各々のミッション、即ち命(めい)に応じて、此の世で果たすべき役割があります。「人間において棄人、棄てる人間なんているものではない」と安岡正篤先生も述べておられる通り、「天に棄物なし」全ての人の「人生に無駄なし」です。此の世に生ある限り世のため人のためとなるように志を立て、その志を遂げるべく夫々の人が夫々の形で粉骨砕身生き行くべきだと私は思います。そうでなければ棺桶に入る時、何らかの後悔の念が生じるのではないでしょうか。

今年一年、小生の拙いブログを御愛顧頂いた皆様には厚く御礼を申し上げます。
来年が皆様方にとって良い年になりますよう、心より祈念致します。




 

株式会社致知出版社から『強運をつくる干支の知恵[増補版]』というを上梓しました。来週月曜日23日より全国書店にて発売が開始されます。
私共SBIグループでは2000年から毎年1月の最初の出社日に年賀式を行うことにしています。そこで私は今年の年相ということで干支学をもとに30分程度話をしてきました。役職員の中には、うちのグループの総帥は占いが好きなんだとか今年の占いは当たるのかとそういった興味本位で聞いている者達もいると思います。筮竹などを用いた易占が干支を用いて普及したため、わけがわからず易占と混同しているのでしょう。しかし、本来干支学は易占と異なるものです。
干支(えと)の干は「幹」であり、根であります。支は「枝」を表象し、根から生じる枝葉花実です。植物生命の発生から順次変遷し、その終末に至るまでの過程を干は十段階、支は十二段階に約説し、これを組み合わせて六十の範疇にしたものです。ですから干支は植物生命の成長、発展、収縮する変化の過程を分類し、それぞれに対して説明を加えていったものになります。
このように元来、植物の生命の変化を表すのに利用されてきた干支が、次第に人間世界の様々な出来事や時勢の変化についての判断にも適用されてきたと推察されます。したがって、干支学というものは古代からの知恵が次第に集積されていったもので、歴史的、経験的、実証的な意義が深く、干支占いというようなものでは決してないのです。具体的に歴史上の事実に徴して調べてみても普遍的妥当性が見い出せることがわかります。
こんな思いで、毎年の年相を発表してきたのですが、数年前に干支学が学として成立する過程をもっと調べようと思いました。それはちょうど「易」の勉強をし始めた頃でもありました。『論語』の中にも「我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、もって大過無かるべし」とあります。また「韋編三絶」という言葉があるように孔子は『易経』を綴じた革紐が何度も切れるぐらい繰り返し読んだと言われています。東洋哲学や人物学の碩学であられ、私が私淑する安岡正篤先生も「易」について次のように言われています。

【易を学ばなければ、自分自身どうなっていたか分からないことを折にふれて感ずることがある。ということは、物心ついてから私が遭遇した、体験してきた環境・時代・国家というものは、それこそ大いなる変易、グレート・チェンジの連続であった。中学時分から真剣になって民族興亡の歴史や哲学を学んで、私なりにいろいろの経論を研究した。しかしその抱負、経論、あるいは信念というものが、その後の昭和の歴史を通じてことごとく裏切られた。その時非常に役に立つのが中国の易の学問であった】

『易経』は殷代より漢代の初め頃まで千数百年にわたり、天地自然と人間世界の相関関係を、英知を尽くしてまとめあげた古代思想の精髄であります。干支学も易学も古代の中国人達の考え出した共通の思想・原理から成っています。ですから、古代中国人達の思索の過程を研究することで一度に両方を体系的に学ぶことが出来ると思い、先賢達の書を渉猟し始めました。そうした勉学により、私は干支学の発達の過程とその深さを改めて認識致しました。とりわけ東洋史観に関する諸書籍(主として高尾義政氏、鴇田正春氏の著作)にはそれまで得られなかった極めて合理的な説明がなされており、頭が整理されました。本文でも随所で引用したいと考えています。
本書では、干支の原点に遡って由来を述べるとともに、干支の意義を論じ、過去2002年から2019年までの各年のSBIグループ年賀式で干支による年相として私が発表した年相を御紹介したいと思います。そうすれば読者の皆様も干支の本来の機能を理解し大いに活用出来るのではと思います。




 


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