北尾吉孝日記

『意気を新たにする』

2017年12月26日 15:20

いよいよ、後6日足らずで今年も終わりになります。年初に「あれをやろう」「これをしよう」と色々と思いながら、振り返ってみると出来ていないことが多々あります。新年、意気を新たにして詰め残しの事柄、新たな事柄に精力的に取り組みたいと思います。
此の新年の「」の字は3つの漢字、「辛」「木」「斤(斧)」が集まったような文字です。要するに辛抱して木を斧で削り、有用なものを創り出して行くというところに原義があります。
故に「新年」とは辛抱し苦労して、今迄に無かった新しいもの、そして世に有用なものを創り出すという意味になるわけです。新年を前にして漢字の本当の意味を噛み締めながら、自分の為すべきことを考えるのも大事でしょう。
そして上記した「意気を新たにする」とは、ある意味非常に大事だと思っています。国語辞書を見ますと、意気とは「事をやりとげようとする積極的な気持ち。気概。いきごみ」等と書かれています。
年末に掛けては、よく家の掃除をしたり片付けものをしたりするわけですが、一番やらねばならないのは実は自分自身の掃除、即ち言い方を換えれば此の意気を新たにすることなのです。
ぴちぴちとした活気の中に自らを置くということで、新しい年を迎えるに当たり是非とも私自身もやろうと思っていますし、同意される方は是非意気を新たにされてみてはどうでしょうか。




 

『リーダーになる人』

2017年12月19日 17:15

ライフハッカーに今年9月、「5年後にリーダーになる人と、部下のままの人の違いとは?」と題された書評記事がありました。そこで「5年後のリーダー」とは、「たとえ小さなことでもないがしろにせず、きちんと結果を残し、期待された以上の成果を上げる。そこで得た経験をマニュアルに残したり、人に教えたり、何かを学んで人間成長しようとする」人を言っています。
あるいは、「自分の仕事に誇りを持ち、つねに全力投球する。色々な工夫をして褒められるので、仕事がますます面白くなり、さらに一所懸命に打ち込む。仕事の背景や意義なども考えて取り組むから、期待以上の結果を残す。そのため、より大きく重要な仕事を任されるようになる」人だとしています。
当該テーマで私見を申し上げると、リーダーというのは基本、その人に与えられた境涯・境遇の中でリーダーになるという覚悟、換言すれば透徹した一つの使命感を持ち、リーダーに相応しい人物になるよう自分で自分を築いて行く人がなるのだと思います。何らかの天分に恵まれたが故、自然とリーダーになるのかと言えば、決してそうではありません。
「己より賢明な人物を周辺に集めし男、ここに眠る」とは、米国の「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーの墓碑銘です。リーダーとしてより大事なのは、如何なる大志を抱き、自分の人間的魅力により優秀な人を多く集わせて、彼らと共に自分がやるべきことを明確にし、そしてその志念を共有化して行くというプロセスです。
此のという字は武士の士に心と書きますが、8年半程前に上梓した拙著『北尾吉孝の経営道場』(企業家ネットワーク)でも御紹介した通り、「士という字を見ると、十と一。十は大衆、一は多数の意志を責任を持って取りまとめること、あるいはその人たちの一般的指導者を表します。ゆえに志とは公に仕える心、多くの人を引っ張っていく責任の重たい士の心」を言うのです。
リーダー足らんとする者が高い志を持ち、世を良き方に導くべく強固な意志を有する時、そこにはやはり自分を律する心、そして努力する心といったものが必要になってきます。必ずしも特別に卓越した頭脳が必要なわけではありません。「三顧の礼」を以て劉備玄徳が諸葛孔明を迎えられたのもそうですが、畢竟その人間が人間的魅力を有しているか否かに尽きると言えましょう。
そもそもリーダーとは、その人自身がどう思うか・周りがその人をどう思うかといった問題だと思っています。孟子は、どのようにして人が天子になるのかについて、「天授け、人与う」という言葉を残しています。天が天命という形で授け人民が与うという形で、人は天子になる、指導者になると言っているのです。人徳のない人には、人はそのようなポジションを与えないのです。
自分で「社長になりたい」「大臣になりたい」と思っても、必ずしもなれるものではありません。上記した真面目な努力等を怠って要領よく地位を得ようにも、絶対に得られるものではないのです。それなりに自分を律し、それなりの努力をし、それなりに自分の人間力を高め、世のため人のためを掲げて人望を得、そして「リーダーになって当然だ」と皆が認めてくれる人間にならなければならないのです。




 

『老子は年寄り向き?』

2017年12月11日 15:55

『老子』第六十七章に、「我に三宝あり、持して而して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先とならず。慈なり、故に能く勇。倹なり、故に能く広し。敢えて天下の先とならず、故に能く器の長と成る」という有名な一節があります。
之は、「我には常に心に持して努めている三つの宝がある。一に慈、二に倹、三に敢えて天下の先にならぬことである。真の勇とは慈愛の心より生じ、真に広く通ずるは節倹なるが故である。敢えて天下の先とならずして退を好む、故に万民百官あらゆるものを統べるに足る」ということです。
此の「三宝」の内、三番目の「敢えて天下の先とならず…人に先んじようとしない事」が最も老子らしいと言えるでしょう。一番目の「慈…慈しみの心」及び二番目の「倹…倹しく暮らす事」は、古来からの一般的な道徳としてあることで、当たり前と言えば当たり前です。勿論、その道徳の中で何を大事にするかといった優先順位の付け方は老子の一つの考え方でしょうし、之が孔子になれば「仁・義・信」ということになるのだろうと思います。
例えば、『論語』の「憲問第十四の三十六」で孔子が「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」と述べている一方で、『老子』の第六十三章には「怨みに報ゆるに徳を以てす」という言葉があります。「直き…公正公平」か「徳…恩徳」か何を以って怨みに報いるのかが、孔子と老子とでは全く違っているわけです。夫々の思想の違いは、沢山あって大変興味深いものがあります。
ちなみに、徳性高き蒋介石が「怨みに報ゆるに徳を以てす」とし、戦後日本が安全に引き上げる上で非常に大きな働きをしてくれたことは、嘗てのブログ『人に対する姿勢』(13年2月25日)の中で、拙著『人物をつくる―真の経営者に求められるもの』(PHP研究所)より引用して御紹介した通りです。
上記一番老子らしいとした「敢えて天下の先とならず」につき、正義感に燃える若者や進取の気性に富む若い人にとっては、納得し難いのが普通ではないかと思います。之は、ある程度の年配になり自分が「楽天知命…天を楽しみ命を知る、故に憂えず」(『易経』)の境地になって初めて言えることではないでしょうか。
年を取り円熟すると老子が好きになるという人も結構いますが、年を取りある意味余り角がなくなってくると老子の思想の方が受け入れ易くなるのかもしれません。例えば、安岡正篤先生なども恐らく少し年を召されてからの方が、孔孟(…孔子と孟子)思想というよりも老荘(…老子と荘子)思想に対する興味関心をより強く抱き、惹かれるようなられたのではないかと思います。
「韓非の政治哲学の根本にあるのは“黄老”である」とは司馬遷のですが、此の黄老(…黄帝と老子)とは『老子』の主張した政治哲学を言います。それは、生一本(きいっぽん)のような世界でなく、正に「古いものほど風味がなれてよくなる」老酒(ラオチュー)の如き枯れた境地にある人が「あぁ、なるほど…」と思う味わい深きことです。私なども、これから段々と円熟味(?)を増してくるにつれ、「なるほどなぁ~」と老子の言に思うことが更に増えてくるような気がします。




 
  • 小
  • 中
  • 大



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.