北尾吉孝日記

『人が使いたい人?』

2019年7月4日 16:25

渋沢栄一翁は、「人に使われる者が最も大切にしなければならないのは、主人に『この人物をなるべく永く使いたい』と思わせることである。だから、用事をたくさん言いつけられるというのはとてもよいことで、不平を言うのではなく、幸せだと思わなければならない」と述べられているようです。
野村證券時代を振り返ってみますと、私自身は上の人が使いたいと思い難い人間であったかもしれません(笑)。私は当時、会社組織では上司・部下といった関係性は大事にしなければならないと思っていました。下の者が上の者に対し礼を尽くし敬意を払うことは、チームを秩序立てるために必要だからです。
だからと言って、上司に盲従するだけでは意味がないとも思っていました。ですから、「それは違うのではないですか」「この方が良いのではないですか」といった具合に、自分の主義主張や立場を何時も明確にしていました。それが若造のサラリーマンとしてはユニークと言えばユニークであったのかもしれません。
しかし、一口に上司と言っても色々で、私のように「ノーはノー」「イエスはイエス」というタイプの人間を評価する人もいるわけです。人の人に対する見方は様々ですから、別にそれ自体を気にする必要もないでしょう。私はそれよりも、『論語』の「李氏第十六の八」に「君子に三畏(さんい)あり」とある通り、天命を常に意識し、大人・聖人の言に畏れを抱きながら自分を律し、確固たる主体性を有した自己を確立できるよう努力し続けることが大事だと思っています。
他方、同じく『論語』に「君(きみ)、臣を使うに礼を以てす」(八佾第三の十九)とあるように、上の者も下の者を敬い、出来得る限りその考えに耳を傾け、愛情を持って導くという姿勢が大切です。私自身が人に求めるのは、思いも付かない事柄や成る程と感心する事柄を言ってくれることです。私が考えている事柄と同程度しか考えられない、といったことでは殆ど意味がありません。
但し、「こいつは、ひょっとしたら出藍之誉(しゅつらんのほまれ…弟子が師よりもすぐれた才能をあらわすたとえ)になるかもしれないなぁ~」と感じさせる人物は貴重だと思います。私にとって良き部下とはそうした類であって、渋沢翁の如く使い易い・使い難いといったふうには余り考えたことはありません。
それから最後にもう一つ、当ブログでも幾度も指摘している通り、昔から人の使い方として「使用…単に使うこと」「任用…任せて用いること」「信用…信じて任せて用いること」とあります。その人の本来の職責を限られた時間内に効率的に如何に果たすかという観点からも、信じて任せて用いることが出来れば一番望ましいと思います。立場が上になり部下の数が増えれば増える程、部下が最もやる気を起こしてくれる信用を出来るか否かが問われるのです。来るべき時に備え我々は常々、己を磨いておくことです。




 

『天に仕える』

2019年6月28日 15:05

江戸時代の儒学者・佐藤一斎は『言志四録』の中で、「自ら欺かず。之れを天に事(つか)うと謂(い)う…なによりも自分で自分を欺かず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという」(『言志耋録』第106条)と言っています。「天に仕える」とは私として一言で言えば、仕事を通じ世のため人のために役立つことをする、というのが具体的な意味ではないかと考えます。
私は嘗て、『何のために働くのか』というに次の通り書きました--東洋思想では、仕事とは天命に従って働くことだと考えます。仕事という字を見てください。「仕」も「事」も「つかえる」と読みます。では誰に仕えるのかといえば、天につかえるのです。天につかえ、天の命に従って働くというのが、東洋に古来からある考え方です。
働くとは「傍楽」であり、その行いによって「傍(はた)を楽にする」こと、つまり社会のために働くことであり、「公に仕える」ことです。日本の伝統的な仕事に対する考え方とは、正に「公に奉ずる」というものです。日本人が好んで使う「志」という字に、それはよく現れています。志は十に一に心と書きますが、此の「十」は多数のことで一般大衆を意味し、「一」は多数の取り纏め役でリーダーあるいはリーダーシップを意味します。
つまり志とは、「理想を掲げリーダーシップを発揮して大衆を引っ張って行く。そういう責務を持って、世のため人のために尽くすもの」だと私は定義しています。従って此の志の高さによって、やろうとする心・自らを律する強さも変わってくるのです。『近思録』にあるように、「志小なれば足り易く、足り易ければ進むなし」であります。
佐藤一斎は冒頭挙げたの中で、「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎(とがめ)必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」(『言志録』第10条)とも言っています。
ここで言う「天役」とは、自分の天職と思える仕事を通じて天に仕えること、社会に貢献すること、即ち世のため人のために仕事をすることです。仕事を自分自身の金儲けのためや自分の生活の糧を得るためのものだと考えると、人生は詰まらないものになります。世のため人のためになることをするからこそ、そこに生き甲斐が生まれてくるのです。そして私は、自分の天分を全うする中でしか此の生き甲斐は得られない、と思っています。
『論語』の「尭曰(ぎょうえつ)第二十の五」に、「命を知らざれば以て君子たること無きなり」という孔子のがあります。己にどういう素質・能力があり、之を如何に開拓し自分をつくって行くかを学ぶのが、「命を知る」ということです。一角の人物になるためには、どうしても天命を知り、天職を得るような志を立てる必要があります。
それによって、最終的に「楽天知命…天を楽しみ命を知る、故に憂えず」という境地に到るのです。天命を悟り、それを楽しむ心構えが出来れば、人の心は楽になるという意味です。そうやって天に仕える身として常に自らの良心に背くことなく、社会の発展に尽くすべく仕事の中で世のため人のためを貫き通すのです。




 

『偉大なるかな二宮尊徳』

2019年6月19日 16:30

先日、映画「二宮金次郎」を鑑賞したところ大変素晴らしい作品でした。「心田」を開拓すること、及び荒れた農地を開墾して行くことの二つを生涯の使命とした二宮尊徳翁は、一汁一菜程度で決して贅沢はせず、世のため人のために一生を捧げた立派な人物です。
尊徳翁は、終生に亘って荒廃した村々を600以上復興し、その過程で多額の資産を築くことが出来たにも拘らず、報奨金の全てを農村復興に注ぎ込みました。そして他界された時、私有財産は全く残っておらず、遺言として自らの墓石を建てることもさせず、己の全人生を世のため人のために捧げたのです。今回この翁の人間力・生き様・高い志に深く感銘を受けると共に、改めてその偉大さを認識した次第であります。
映画の冒頭、尊徳翁は「分度…ぶんど:自分の置かれた状況や立場を弁え、それに相応しい生活を送ること」が如何に大切なことであるかを説かれました。そして分度により生まれた余力やお金を、自分の将来のためのみならず世のため人のために譲るのです。
例えば、私どもSBIグループは本業を通じ社会に貢献するだけでなく、より直接的な社会貢献活動に取り組むべく19年前、児童福祉施設等への寄付を行うことを決定し全国の施設への寄付活動を実施して参りました。そして14年前「公益財団法人SBI子ども希望財団」の前身となる「財団法人SBI子ども希望財団」を設立しました。また12年前「社会福祉法人慈徳院」(こどもの心のケアハウス嵐山学園)という児童心理治療施設を私の個人的な寄付で埼玉県嵐山町に設立して、児童福祉の向上に焦点を当て尽力をして参りました。我々は創業間もない時期から微力ながら、尊徳翁の教えを実践してきたものと自負しています。
私は、嘗てのブログ『偉大なる人物の偉大なる思想に学ぶ』(15年12月2日)の中で、次のように述べたことがあります――自分の小欲に克ち、社会のためにという大欲に生きる人が偉大な人です。偉業を遂げた人の足跡を訪ねてみれば、決して私利私欲のためには生きていません。世のため人のためという気持ちを常時失わずにいる人が、結局後世に偉大な業績を残しているということです。
人が他の存在によって生かされていることを自覚すれば、おのずと世のため人のため生きようといった使命感が生まれてくるでしょう。そのためにも心を磨き、少しでも社会に貢献できるよう自分を高めて行く生き方になってくると思います。
思い出してみれば、私が子供の頃には殆どの小学校に尊徳翁の銅像がありました。しかし近年その撤去が進んでおり、非常に残念に思っています。内村鑑三著『代表的日本人』では、「日本人としてどのように生きるべきかを伝える」ため伝説に残る5人の内1人に翁が紹介されていますが、日本人は今一度、二宮尊徳という偉大な人物を見つめ直すべきであります。皆様も是非この機会に、映画「二宮金次郎」を御覧になられたらと良いと思います。




 


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