北尾吉孝日記

『重役というもの』

2019年8月29日 15:00

日本経済新聞に今年1月、「重役にしてはいけない人」という記事がありました。そこでは先ず、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけの人」「いい人だが能力がない人」「会社を私利私欲のための手段とする人」、の3点を渋沢栄一翁の名著『論語と算盤』より挙げて指摘しています。
そして最後に筆者は、「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」「学ばない人」「周囲の人を大切にしない人」、の3点を上記に付け加えたいとしていますが、私に言わせれば、それら全ては渋沢翁による3点の中に包含されているように思われます。
「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」も「周囲の人を大切にしない人」も、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけ」で「会社を私利私欲のための手段」として考えているのでしょう。つまり本当に会社のためを思い考えて、公のため何とかプラスになる事柄をやろうとすれば、当然人を「排除する」とか「大切にしない」ということにはならないからです。
公に奉ずるとは、結局のところ上であろうが下であろうが同じです。しかし、上には上の役目があります。安岡正篤先生も『東洋宰相学』の中で、「リーダーとなるべき者が読んで実行すべきものとして」推奨されていますが、重役の在り方というのは、佐藤一斎の『重職心得箇条』(文末参照)に尽くされていると思います。
また、「学ばない人」が「能力がない」のは明らかですが、重役に就けるに「いい人」だけではしんどいと思います。リーダーシップを発揮し多くを引っ張って行くわけですから、人がいいだけでは無理でしょう。重役に相応しいか否かは基本、それだけの責任を担う資格があるかどうか、ということです。
併せて、下の人達がその人を重役と仰ぐことに賛同するかどうか、も大事になります。人望とは、人がいいだけで出来るものではありません。社会や人を正しい方向に導いて行けるだけの能力が求められると共に、何時も公正無私の姿勢を貫き自分を正しく律して行かなければなりません。
『論語』の「子路第十三」に「其の身正しければ、令せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖(いえど)も従わず」や、「其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん」という孔子の言があります。
どれほど知識・技術・才知に長けていたとしても、それだけで下は動きません。多くの弟子が孔子に従いあれだけの人望が集められたのも、彼自身が「修己治人(しゅうこちじん)…己を修めて人を治む」が出来ていたからこそです。重役たる者、常に自分の私利私欲の類を度外視し、様々なディシジョンメイキングをして行かねばなりません。

≪重職心得箇条―要約
一、小事に区々たらず、大事に抜目なし。重職の重たる字は肝要なり。
二、大度を以て寛容せよ。己に意あるもさしたる害無き時は他の意を用うべし。
三、祖先の法は重宝するも、慣習は時世によって変易して可なり。
四、自案無しに先例より入るは当今の通病なり。ただし先例も時宜に叶えば可なり。
五、機に従がうべし。
六、活眼にて視るべし。物事の内に入りては澄み見えず。
七、苛察は威厳ならず。人情を知るべし。
八、度量の大たること肝要なり。人を任用できぬが故に多事となる。
九、刑賞与奪の権は大事の儀なりて軽々しくせぬ事。
十、大小軽重の弁を失うべからず。時宜を知るべし。
十一、人を容るる気象と物を蓄る器量こそが大臣の体なり。
十二、貫徹すべき事と転化すべき事の視察あるべし。これ無くば我意の弊を免れ難し。
十三、信義の事、よくよく吟味あるべし。
十四、自然の顕れたるままにせよ。手数を省く事肝要なり。
十五、風儀は上より起こるものにして上下の風は一なり。
十六、打ち出してよきを隠すは悪し。物事を隠す風儀とならん。
十七、人君の初政は春の如し。人心新たに歓を発すべし。財務窮すも厳のみにては不可なり。




 

『習慣というもの』

2019年8月21日 16:20

BUSINESS INSIDER JAPANに「成功者、11の習慣」(19年6月9日)と題された記事があり、「感情をコントロールする」「読書が好き」「1人の時間を大切にする」等々と並んで「ルーティンにこだわる」ということが挙げられています。そこでは、『成功者は「決まったルーティンや儀式が毎日の始まりと終わりにある」と指摘』されています。
此のルーティンということで私の場合は、いつもマーケットから出発しています。寝る前に必ず欧米の金利・為替・株式・債券等々のマーケットはどうなっているかとチェックをし、起きて直ぐにそれらの相場がどうなったのかを確認します。その上でマーケットが大きく動いたとしたら、そこに如何なる事情・背景があり、一時的なものかどうかを探るわけです。之は、相場に生きる人間にとって必須だと思っています。
このようにして私は1974年に野村證券に入社して以来今日まで、過去45年に亘り上記の世界中のマーケットを見続けることを一つのルーティンにしてきました。之は、数多くの種々の金融業に身を置く者として相場がどういうふうに動いているのかに関し常に自分なりの主体的な判断を持たねばならない、との思いからやってきたのです。
但し、ルーティンと習慣とでは、少し違うような気がします。どちらかと言うと、ルーティンというのは良い悪いは別にして、やらねばならないとして毎日やるべきを機械的に熟(こな)す、といった類です。他方で習慣というのは、良い習慣と悪い習慣とがあると思います。
例えば、寝る前に酒を飲むとか、起きたら直ぐに煙草一服、といった習慣は健康上も余り良いとは言えず、悪い習慣に入りましょう。逆に良い習慣とは、例えば、常日頃から精神の糧になるような読書をし、その中で得た事柄を自分の今日の生活に如何に活かして行くかと考えること等であります。
あるいは、寝る前に自分の今日一日を振り返って見て反省する、というのも良い習慣の一つだと思います。人間としての生き方に問題はなかったか?とか、今日一日ベストを尽くしたか?…Have I done my best?、といった形で自らに問うて反省するのです。そしてまた、朝起きて活動を始めるに当たり、今日こそベストを尽くそう!…I’ll do my best!、といった具合に考えることはあっても良いように思います。こうした類を習慣にしている人は、人物も出来てくるものです。
『論語』の中にも「教えありて類(たぐい)なし」(衛霊公第十五の三十九)、あるいは「性(せい)、相(あい)近し。習えば、相遠し」(陽貨第十七の二)という孔子の言があります。前者は「人間には、教育による違いはあるが、生まれつきの違いはない」といった意味で、しっかりと学ぶことを怠らなければ、誰でも立派な人物になれるということです。また後者も似たような言葉で、「生まれた時は誰でも似たり寄ったりで、そんなに大きな差はない。その後の習慣や学習の違いによって、大きな差が出てくるのだ」といった意味になります。これ正に、孔子の言う通りだと私も思っています。




 

『地頭というもの』

2019年8月14日 15:05

8年も前になりますが、私は「the Entrepreneur」という起業家インタビューのサイト向けに、次のように話したことがあります--僕は慶應義塾大学出身ですが、幼稚舎から慶應にいるような人達は受験勉強をやってないからか学校で学ぶような知識レベルはそう高くはないが、地頭がいいことが多いと感じました。天賦の才、また家庭や学校での教育環境はかなり本人の知識レベルや思考力に影響があると思うんです。
国語辞書を見ますと、此の地頭とは「大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう」と書かれています。あるいは、例えば「NAVER まとめ」に「地頭力とは何のこと?」というのがあります。そこでは地頭力の定義として、「仕事を深堀していく能力のこと」、「問題解決に必要となる考え方のベースとなる能力」、「素手で考える力。知識も方法論もあらゆる引きを持たずにゼロベースで考える力のこと」等が挙げられています。
私自身は地頭の良し悪しとは基本、気が利くか否かを指しているのではないかと考えます。の各部位には、記憶を司る側頭葉やイノベーションを齎すとされる頭頂葉および前頭葉等々、色々な役割があるわけですが、世間一般で言う地頭力が高いとは、物分かりが早く様々な事柄に気転が利いたりすることを言うのだと思います。
此の地頭の良い人の特長として、あるブログ記事(18年2月13日)では、「同じ情報に接していても、そうでない人に比べて、そこから読み取ることができる情報が桁違いに多い」とか、「一を聞いて十を知る」ということが挙げられています。そして『「自分の好きなものをつきつめること」に、「地頭を鍛える」ことの鍵が隠されているのかもしれない』との言葉で結ばれています。
先ず前者の一を聞いて十を知るとは、幾ら地頭が良くても少し無理があるかもしれません。『論語』の「公冶長(こうやちょう)第五の九」にも、学を好む「回(かい:顔回)や一を聞きて以て十を知る。賜(し:子貢)や一を聞きて以て二を知る」という子貢の言があります。之に対し孔子は謙遜して「吾(われ)と女(なんじ)と如(し)かざるなり…私もお前と同様に及ばないよ!」と応じるわけですが、やはり日頃から色々な知識を得それだけのバックグラウンドを持って鍛えてないと難しい部分があるでしょう。
他方後者に関し、地頭を鍛える上で自分の好きなものを突き詰めて行くことは有り得ると思います。『論語』の「雍也(ようや)第六の二十」に、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という孔子のがあります。一つの事柄に集中し楽しんで突き進んで行けたならば、それが何事であっても地頭を鍛えることに繋がりもするでしょう。これ即ち、一芸に秀ずれば結果として万芸に秀ずる、のです。




 


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