北尾吉孝日記


私はグローバリズムには三つの段階があると考えており、いよいよ日本も三段階目のグローバリズムに移行していく過渡期にあると考えております。

グローバリズムの三段階について説明しますと、
第一段階:モノの輸出入で海外へ進出していき、海外との関係を持つ
第二段階:生産拠点や販売拠点を海外に持つという形でのグローバル展開をする
第三段階:本社機能や経営機能が海外に移る。また日本人の海外での居住が増加。
ということになります。
ですから第三段階になりますと、会社の本社を海外に移転することや経営者を外国人とする日本企業が増え、また日本人富裕層やシルバー層の居住が海外に移ったりすることも増えます。
今、三段階目のグローバリズムに移行していく過渡期にあるといえ、近い将来にこのようなことが起こっていくということなのです。

例えば、ソニーのように多国籍企業となって、日本での売り上げよりも海外での売り上げの方が多く、またCEOも外国人であり、日本に留まる理由があるのでしょうか。
資金調達の面で考えましても、世界中で色々な調達の方法がありますし、ソニーの場合はNYでも上場しています。
そのように考えますと、日本に留まる必要性はないと言えましょう。

そして、日本の税制の非効率な部分に不満を持つ多くの日本企業が同じように考え出したとき、日本の税制は一体どうなるのでしょうか。
そのようなことが起こって、始めて日本の税務当局や行政があわてるでしょう。

これを防ぐためには、世界の常識に一歩でも近づけようという制度改革がなされることが何よりも必要だと思います。
『礼記』の中に「苛政は虎よりも猛し」という言葉がありますが、このように行政における様々な非効率を改善せず、そしてそれを更に悪化させていくというような制度改革を行っているようでは会社や人々が出て行くのは当然のことです。

抜本的な制度改革が行われない限り、この第三段階目のグローバリズムの進展は促進されていくことは避けられないと言えるでしょう。




 

先日、民主党もキャピタルゲイン課税を現行の10%から20%に上げようとしている旨の報道がありました。
早速、知人である民主党の代議士に話を聞きましたが、報道は正確では無かったことがわかりましたが、そのような議論はあるようです。
一方、先日まで私はスイスのジュネーブに出張しておりましたが、スイスではキャピタルゲイン課税がありません。

考えてみますと、リスクを取った投資に対する課税とリスクを取らない銀行預金金利に対する課税が同じ税率であるということは、明らかに合理性を欠いていると言わざるを得ません。
したがいまして、このキャピタルゲイン課税に対して、ゼロとまではいかなくても、他の課税と比較して軽減措置をとることが世界的な常識となっているのです。
ところが、日本ではそれを同水準に持っていこうという議論がなされており、世界の常識とは逆行しています。

また、スイスの税制に関して色々と調べてみますと、世界中の資金がスイスに入ってくる理由がよくわかります。
例えば贈与税相続税ですが、日本とは根本的に異なり、国税としての課税はありません。

では、スイスはどのようなところから税金を取っているのか、という疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれません。
勿論スイスには次々と資金が流入してくるので、そこから税金は取ります。
しかし、課税方法に関してカウンティーと交渉の余地があり、交渉の結果「ある一定金額を払えば、スイスでいくら利益を上げてもそれ以上の課税はない」というような条件にすることが出来るのです。
ですから、世界中からお金が集まります。
そして、スイスは非常に物価が高いにも関わらず、国民の生活水準も高いのです。

また、日本は税金の取り方だけでなく、それ以上に税金の使い方に問題が多いと思います。
独立行政法人で隠れ損失が6000億円になるという記事が10月12日の日経新聞に出ておりましたが、これは血税をつぎ込んで役人の天下り先をつくり、そのつぎ込んだ金額以上の損をしており、またそのために血税が使われるということです。
このような税金の無駄遣いをしていますと、国民の我慢にも限度があります。
税金に関する制度を抜本的に変えていかなければ、日本から人が出て行ってしまうのではないかと思います。




 

語句の意味

2007年10月11日 14:12

SBIグループでは各事業部でグローバル化を推進しており、従業員が語学の勉強をするときには会社として援助をしておりますが、語学の勉強というものは、真剣に取り組むと非常に面白いものだと思います。

真剣に取り組むと言っても様々な方法があると思いますが、僕が中国古典を勉強する場合、大漢和辞典や字源を細かく見ます。
そうしますと、その民族の思索力や考える力、あるいはその民族の精神性、そういったものを垣間見ることが出来るのです。

例えば、才能の「才」という字があります。
この言葉は名詞ではご存知の通り「能力」や「働き」という意味ですが、副詞では「僅(わず)かに」という意味になるのです。
才は大事なことですが、それだけでは僅かな意味しかない、この「才」という言葉にはそういった意味が込められているということです。
才というのは、徳とあいまって始めて大きな意味があるのです。
ですから、才色兼備という言葉がありますが、最近僕は「才徳兼備」という言葉を使っています。
このように一つ字を見ても、その言葉には意味が込められているのです。

これは漢字に限ったことではありません。
例えば、英語にcompromiseという言葉ありますが、これは妥協するという意味ですね。
妥協するという意味で覚えている方が多いと思います。
しかし、妥協をするということは自己の主義主張を失うということと同じです。
ですから「主義主張を失う、失う」という意味もあるのです。
気になる方は辞書で調べてください。

このように語学、語句の勉強一つでも、ある意味でその民族の思索力、それを通じた精神性というものを垣間見ることが出来るのです。
皆様も語学を勉強する機会があれば、是非ともこういったことまで勉強していただきたいと思います。




 


Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.