北尾吉孝日記

著書について

2007年6月1日 18:57

あっと言う間に6月です。
光陰矢の如しとはよく言ったものですね。

先日、僕が書いた『何のために働くのか』の感想文のコンテストが致知出版で行われ、その感想文の一部を読ませていただきました。
僕の書いた本が非常に多くの方々に読まれ、悩みの解決や生き方の参考にしていただいたということを大変嬉しく思いました。
いただいたメッセージや感想文を読みながら、「ああ、これが作家の喜びというものか」と初めて実感したのです。

その時、嬉しく思ったと同時に「なぜこの本が多くの方々に受け入れられたのか」ということを自分なりに考えてみました。
一つは、やはり『論語』をはじめとする中国古典の持つ魅力の大きさでしょうか。
前の著書『中国古典からもらった不思議な力』でも書いたように、中国古典に書かれている知恵というものには現代になっても褪せることのない魅力があるのだと思います。
例えば「巧言令色鮮矣仁(口先が巧みで角のない表情をする者に、誠実な人間は殆どいない)」という言葉がありますが、これは漢字で書くとたったの七文字ですが、この七文字が人生の真理をズバッと言っているのです。
思えば、この『論語』という著書は書かれてから二千数百年も経っているのですが、今読んでも新鮮で、読み手の心に深く突き刺さります。
人間が生まれ、生きていくということは二千数百年前も今も何も変わらないことなのでしょう。
そういう意味で、皆様方にも古典を読んでいただきたいと思います。

中国古典だけではなく、西洋の古典にも素晴らしいものがあります。
例えば『ソクラテスの弁明』というプラトンの著書がありますが、そこに書いてあることと『論語』に書いてあること、この二つに非常に多くの共通点があるということを、最近あらためて痛感しました。
ソクラテスと孔子、ちょうど同じくらいの時代に生まれた二人ですが、全く異なる地に生まれ、思想も異なるものかと思っていたのですが、共通点が随所に見られるのです。
西洋東洋問わず人類の宝として二千数百年以上も残っている著書は、やはり我々の精神の糧となるということを改めて実感しました。

この本が受け入れられた理由としてもう一つ考えられるのは、「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もありますが、「時代の変化」ではないでしょうか。
日本人は古来より大変豊かな精神文化を育んできましたが、戦後になってこうしたものを捨ててきたように思います。
その結果として、世の中に様々な歪みが生じてきているのではないでしょうか。
虐待、いじめ、そして親殺しや子殺しのように信じられないような事件が起こり、ニートやフリーターの激増といった社会問題も起きているのです。
これはやはり、日本人が古来より育んできた精神文化を捨ててしまったことに起因するのではないかと僕は考えているのですが、太平洋戦争が終結してから60年という時が経ち、一つの節目としてそうした精神文化をもう一度見直すべき時が来たのではないでしょうか。
こういう中で、僕の著書に書かれている日本人の伝統的な文化や考え方が受け入れられたのではないかと思うのです。

この60年という歳月、これを今度は経済の世界で考えてみます。
景気循環論の中にコンドラチェフの波がありますが、これは50~60年周期で景気が循環していることを表している波ですが、その要因は技術革新であると考えられています。
そのほかにも景気循環の波にはグズネッツの波(20年周期)やジュグラー波(10年)やキチンの波(40ヶ月)などがあり、僕は母校の慶応やケンブリッジ大学で勉強した記憶がありますが、今回はコンドラチェフの波から今という時代がどういうものであるかを考てみようと思います。
日本における2百年程度の資本主義の歴史では、過去に4回のコンドラチェフ波がありましたが、まさに第5の波が押し寄せようとしているのが今ではないでしょうか。第4波の谷は1949年ぐらいだと言われていますが、デフレからは来年には脱却出来そうですし、今まさに第5波の谷が形成されてそこから本格的な上昇波動へ行くところなのです。
その要因となる技術革新は、おそらくインターネットとバイオの分野で起きるのではないでしょうか。

そして我々SBIグループはまさにその中心にいます。
Finance1.0からFinance2.0へ、ということを最近僕は盛んに言っているのですが、SBIグループはインターネット金融分野での革新を起こし、時代を牽引するべき存在なのです。
だから、我々はこういう時代の中で次から次へと新しいことへと果敢に挑戦していなければならないのだと思います。




 

イートレ長者村の皆様にはいつも多くのコメントをいただき、勉強させていただいております。
特にkibouさんの中国に対する知識の深さには恐れ入りました、有難う御座います。

今回は僕の著書である「人物をつくる」に掲載してある中国に対する見解を紹介します。
2001年~2002年に僕が内の会社の役職員に対して月初の朝礼で話した内容ですが、僕の基本的な物の見方や考え方はその頃と変わっていないので御参考になればと思い抜粋しておきます。
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「人物をつくる」132P~
話は変わりますが、週末、中国がWTOに加盟しました。今朝のテレビでは、WTO加盟に対する中国側の期待や、中国の国営企業や人民が抱いている不安について論じられていたようです。

 中国のWTO加盟は、約十五年間にわたる様々な議論を経てようやく決まりましたが、これは日本にも、世界にも、大変な影響を与えるのではないかと思います。
 ところが、日本における期待と不安、あるいは世界における期待と不安については、テレビや新聞でほとんど論じられていません。本来ならば、このようなことに思いをいたす必要があるのではないかと思うのです。
 中国という国は、日本の20数倍の国土と、13億の民を有する国です。従って、あらゆる産業にとって、その国自体が膨大なマーケットです。
 そして既に、貿易額で見れば輸出額2,500億ドルで世界第7位の国です。また、世界シェアの貿易額を見ると、輸出で約4パーセント、輸入で約3.2パーセントを有しており、大変な大国になっているのです。
 その大国がWTOに加盟すれば、今後3年以内に外資系を含めたあらゆる企業が自由に輸出入できるという、貿易権が付与されることになります。
 2010年には、全工業製品の平均で約16パーセントの関税率を約9パーセントまで大幅に下げていこうという話もあります。

 また、よくご存知のように、その膨大な人口を背景にした中国の人件費は、日本の30分の1から50分の1といわれます。
 さらに、「後発の利」(Latecomers’ advantage)によって、世界最先端の技術やノウハウを一挙に導入しています。彼らは、旧いものに関係なく、最新の技術を導入しているのです。
 日本でも明治維新がそうでした。手工業から段階的に発展するのではなく、最先端の技術を一挙に導入したのです。
 ですから、中国は、決して技術では劣っていません。
 皆さんが実際に中国へ行ったら驚かれると思いますけれども、全然劣っていません。
 そしてまた、中国の人口が日本の10倍だとすれば、日本人の10倍もの優秀な人がいます。きわめて優秀な人材が沢山いるわけです。

 この中国が、我々のコンペティターとして登場してきます。かつて日本は、世界の工場といわれましたが、現在では、中国が世界の工場となってきているのです。
 もちろん問題なのは技術力ですから、常に日本がより高度な技術で中国を凌駕できるならば良いのです。しかし、その可能性は、きわめて低いのではないかと思います。

 あと何年かすれば、恐らく中国は世界一の大国になります。
 そのとき、これまで日本をさせてきた製造業がいったいどうなっているのかと創造すると、背筋が寒くなるような思いがします。
 もちろん中国にとっても、一方で大変な犠牲を払うことは、間違いがありません。生産性の低い非効率な国営企業は、次々と倒産していくでしょう。
 しかし、外資はどんどん中国に資本を投下し、最新の技術で進出していきます。
 おそらくは、いま中国が持っているものを失うよりも、はるかに大きいものを得ることになるのでしょう。是非皆さんには、今後の中国に大いに関心を持っていただきたいと思います。
 そして、我々がこれから中国でどのような事業を展開する価値追う事を真剣に考えていただきたいと思います。
(2001年11月)

「人物をつくる」153P~
これまで私は、「中国が日本に取って代わって世界の工場になる」といい続けてきましたが、実は、もう一つ確信を持てないことがあります。
 私のように経済や経済史をある程度専門に勉強した人間にとって、中国には、近代資本主義という目から見ると非常に不足しているものがあるのです。
 近代資本主義のまさに根底要素という部分、「私的所有権」が欠けているのです。
 中国では、私的所有権が認められていません。現在では認められているかのように言われていますが、実際には様々な制約があり、また法制度が変われば簡単になくなってしまうような状況です。
 では、近代資本主義体制における私的所有権とはいったい何か。
 一つ目は、これは経済学者だけではなく法学者も言っていることですが、私的所有権とは、その所有物に対する「絶対的な支配権」です。すなわち、所有者が所有物に対していかなる行為も、いかなる経済行為も為し得るということです。
 これが近代資本主義における私的所有のまず一つの特徴です。

 二つ目は、「抽象性」といわれるものです。つまり、観念的に、論理的にその存在や内容を決められるということです。
 具体的には、ある人が、自分の所有していない家に住んでいることを考えてみれば分かりやすいと思います。この場合では、「オキュペイション」(住んでいること)と「ポゼッション」(所有していること)が分離しているということ。これが私的所有権の持つ抽象性の意味です。

 今申し上げたような二つの特徴が、近代資本主義というものを発芽させ、発育させ、そして発展させてきたと、私は考えています。
 ところが中国という国を見ると、近代的な意味における所有権の確立どころか、確保さえもが十分になされていないのです。
 従って、もしかするとある時点で、かつてソ連や東欧の共産圏が経験したような「崩壊」が起こり、そのうえで真の経済大国になるのではないかという予感があります。

 このような理由で、これまで私は中国に挑戦できなかったのです。
 確かに、市場は大きく、おそらく世界の工場になるだろうと思いながら、所有権が確保されていない体制というものに本当に発展があるのかと考えてしまうのです。
 日本ですら、まだある意味では所有の抽象性については、欧米に比べるとはっきりしていない部分がたくさんあります。
 欧米は、絶対性や抽象制という点について非常に分かりやすく、明確に規定されています。ですから、まさに資本主義というものがこれらの国で起こり、発展してきたのだろうと思います。そのような意味では、日本もまだ、見よう見まねのところがあります。
 このような理由から、おそらく中国が真の経済大国になるには、まだ長い歳月がかかるのではないかと思っています。この点に関しては、皆さんにも色々な意見があると思いますので、ぜひ聞かせていただきたいと思います。
(2002年3月)




 

中国経済の今後について

2007年5月28日 9:50

中国は経常黒字が大きくなりすぎて外貨が溜まりすぎており、いくつかの対策を講じています。しかし、どれも小手先だけの対策であると言えます。
例えば中国優良企業による外国製品の集団買い付けとか、外国株投資規制を一段と規制緩和するという形で中国人が外国株に投資することを解禁する、といった対策ですね。
中国政府は、これだけ溜まった外貨を外国で消費するようにすることで減らそうとしていますが、本質的には為替レートを変更する以外にこの溜まった外貨を大きく減らす方法はないと思います。

かつて日本は1ドル=360円からスミソニアン体制で1ドル=308円にしました。
円は16.8%の切り上げになったのです。
中国も日本と同じような状況をそう遠くない将来に辿らないといけないという局面に入ってきたと言えるのではないでしょうか。
現在中国政府は、内陸部分と沿岸部分の格差を是正する前に為替レートを変更することは中国にとって政治的に危ういということを盛んにPRすることによって、中国元の切り上げを遅くしようとしている一方で、小手先の対策を講じております。
しかし、中国元が切り上げられるまで、そんなに時間がかからないだろうと僕は考えています。
少なくとも日本がスミソニアン体制の下で切り上げたぐらいの割合での中国元切り上げは、そう遠くない将来に期待できるのではないかと思っているのです。
したがって、僕自身は中国元にスライドするような中国の債券を、金利はそれ程高くないのですが、買っております。

また、SBIなどのようなベンチャーキャピタルが、法人を通じて中国株を中国国内で買うと、中国から外に持ち出すことができません。
しかし、中国国内で購入した株が自由に海外に持ち出せるようになるのも時間の問題であると思いますので、持ち出したい場合はそのタイミングまで待てば良いのです。
清華大学と共同でつくるファンドでは中国国内で投資し、そこでの儲けを中国国内に再投資するということを積極的に続けます。
その方法こそが、将来的な元高を考えた場合に株価から得られるキャピタルゲインと為替から得られるキャピタルゲインの2種類のキャピタルゲインによって、中国株投資の成果を最大化できる方法だと考えています。




 


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