北尾吉孝日記

『老いて輝く人』

2020年5月13日 15:00

ひと月程前、「人間力・仕事力を高めるWEB chichi」に「なぜ若宮正子さんは82歳でiPhoneアプリを開発できたのか 若宮正子×小林照子」と題された対談記事がありました。その中に、美容家として60年以上活躍されている小林さんが下記の通り述べられ、若宮さんが「ぴったり同じです!私も全く同じことを考えていました」と応じられる箇所がありました。
――やっぱり、年を重ねるごとに輝く人と逆に老いて衰えてしまう人がいると思うんです(中略)。その差は何かと考えてみると、未来を面白がることができるかどうかだと思うんです(中略)。それから、日本人が長く培ってきた伝統的なことに目を向けるのも大切です。(中略)技術の進歩を肯定的に受け止めながらも、古くから受け継がれている伝統を次の世代に伝える。この二つの視点を持つことが、年を取ってからの生き方かなと思います。
「馬齢を重ねる」という言葉がありますが、その反対に年を重ねる毎に輝く為には、私は好奇心とチャレンジングスピリットの2つこそが最も必要なものだと思っています。三国志で有名な曹操(そうそう:魏の始祖)の言葉、「烈士暮年(れっしぼねん)、壮心(そうしん)已(や)まず」ということです。曹操は、「雄壮な志を抱いた立派な男児は晩年になっても〝やらんかな〞という気概をずっと持ち続けるものだ」と言っています。
人間誰しも皆公平に年一年、年を取って行きます。少なくとも肉体的には、確実に衰えて行くものです。しかし精神的に劣って行くかと言えば、必ずしもそうではありません。「あそこが痛い」「ここが痛い」とばかり言っていたら、鬱陶(うっとう)しくなるだけです。曹操が言うような実に「壮心已まず」の気魄に満ちた気持ちを持って、「この夢を実現したい」「こんな仕事もしてみたい」と好奇心を失わず積極的に動くようにすべきでしょう。そうした若い元気な青年の気持ちでいますと、面白いもので体も元気になるのです。
「病は気から」と言いますが、年を取ると一段と気力が大事になります。肉体的な若さも勿論大事ですが、何よりも精神的な若さを如何に保って行くかが大切です。好奇心や情熱というのは、「気」によって維持されるものです。チャレンジングスピリットや好奇心が薄れてきたと感じる時には、曹操の「烈士暮年、壮心已まず」とか「老驥(ろうき:老いた駿馬)櫪(れき:馬屋)に伏すも、志千里に在り」とかといった言葉を思い出し、自らを奮い立たせるのです。
人間年を取れば取る程に、その時節相応の形で「生」を全うして行かねばなりません。50代では50代の、60代では60代の、80代なら80代の生き方を模索して行くということです。幾つになっても、精神的な若さは常に保ち続けなければなりません。




 

コロナウイルスに関する最近の各国におけるデータから、次のようなファクトが新たに発覚してきました。

一つは先日の「慶応義塾大学病院 新型コロナ以外の無症状患者の6%がPCR検査陽性 院外・市中感染の可能性も」という状況です。もう一つは「NY州の13.9%に抗体確認、270万人に相当-3000人検査で」という状況です。此の計算で行くと致死率は0.5%位で非常に下がります。昨日明かされたところで「7500人に増やした結果、14.9%で抗体が確認された」ようですから、致死率は更に下がることになります。
こうしたファクトから考えて、日本は早急に大規模な抗体検査を実施すべきであります。PCR検査は遅きに失して、今の時点では抗体検査の方を寧ろやるべきではないか、と私は思っています。抗体を持っている人が非常に多いのであれば、抗体検査の地域的な状況等様々な事柄を検討しながら、此の自粛を徐々に止めて行くという形に誘導すべきでしょう。そうでないと、経済自体が余りに大きな打撃を受けてしまいます。
尤も、今回の見えざる敵との戦いは、嘗ての戦争と違って生産力自体は直ぐに復活し得るわけで、そういう意味では遥かに楽だと思います。況して抗体検査を実施して抗体を持っている人が多いことが分かってきますと、次第に集団免疫への可能性が出てくるのではと思われます。

また、別の観点から分かったファクトで私が非常に興味を持ったのは、一つに、疫学的・解剖学的な結論から言って、此のウイルスが血管内に多数こびり付いていることが認められた、ということがあります。更に、小さな子供でも皮膚に紫斑病(しはんびょう)の如き症状があらわれているケースが過去いくつも見られたそうです。
そして、今回新たに血栓が生じるのではないかと指摘され出しました。それが、一つの大きな死因になっているようです。考えてみますと、前々から糖尿病の人や高血圧の人が重症になり易いと言われてきたわけで、血栓が出来たり血の流通を悪くしたりすることがあるのかもしれません。石田純一さんもアビガンを飲んで急回復し、血液が濃くなったというような話が報道されていましたが、どうも血管・血液といったところと深く関わりを持っているのではと思われます。

三つ目のファクトとして、人間の便の中にもウイルスが大量に発見されました。即ち、之は呼吸器疾患というだけでなしに、消化管にもウイルスが入り悪戯をしている可能性があります。対策として手洗いは勿論のこと、便器を消毒するといったことも必要になるのではないでしょうか。あるいは、同じ料理を共同で食べるといったことも注意しなければならない、というような気がします。
また、此のウイルスは中枢神経をも侵して行く可能性があります。先月7日に分かった「新型コロナで髄膜炎 国内初、山梨大病院で患者重症」の他、幾つかの例で発覚してきているようです。ちなみに、山梨大病院ではアビガンを此の患者に10日間投与し、回復に導いたとされています。
こうしたファクトから考えれば、「軽症者は自宅待機」というわけには行かないでしょう。やはり血液検査を頻繁にやりながら、血液の濃度や血中酸素を調べて行く必要があるのではないでしょうか。従って、先ずは早急に「軽症者はホテル宿泊療養」を完遂すべきだと思われます。

最後にアビガンについては、色々な国で之を飲んで良くなったと多数の人が言っています。日本でも私の知っている人を含めて様々な人が、同じように言っています。もう2000人以上の人が飲み、良い結果が出ていると言われています。副作用がある妊婦は兎も角として、通常の診療で之が処方されるよう、従前の創薬の法的制度を無視してでも、一刻も早く政府として超法規的な特例措置を下すべきだと思います。
一昨日の日経新聞記事「アビガン、早期承認は未知数 米欧にスピード感で後れ」を見て呆れましたが、少なくとも米独でOKになったら日本も直ちに最低限OKにすべきです。その方が明らかに多くの命が救われます。そういうことをやるのが政治なのです。何でも彼でも専門家の意見が正しいと思うのは、私は大きな間違いだと思います。之こそ正に、政治判断すべき事柄ではないでしょうか。




 

『忙中に閑を摑む』

2020年4月22日 16:05

先々月9日、『ビル・ゲイツの成功を支えてきた「4つの習慣」とは?』と題された記事がフォーブスジャパンにありました。彼は「多忙な日々の中でも大切にしてきた習慣」の一つとして、80年代から年に2回程1週間の「考える週」を確保し続けてきているようです。
ゲイツ氏は「その期間は仕事をせず、家族との連絡も絶って、じっくり自分の夢や目標を見直し、気持ちをリセットする時間に充てている」とのことですが、私は何々を絶つとか期間云々でなしに、少なくとも週に一度ぐらい静かな環境に身を置くということは大変有意義だと思っています。
日頃「忙しい、忙しい」と言っているほど、私から見て忙しくない人が結構いるように思います。そうした類の人達は、真に向き合うべき事柄に取り組まず、詰まらぬ事柄をやり過ぎていることの方が多いような気もします。
「忙」という字は「心」を表す「忄」偏に「亡」と書きますが、そのような人々はある意味心を亡(な)くす方に向かっているのかもしれません。そしていよいよそれが高じて、睡眠不足になり鬱病になることもあるわけです。だから東洋哲学では、「静」や「閑」ということを非常に大事にしています。
例えば、明治の知の巨人・安岡正篤先生も座右の銘にされていた「六中観(りくちゅうかん):忙中閑有り。苦中楽有り。死中活有り。壺中天有り。意中人有り。腹中書有り」の第一に、「忙中閑有り」とあります。
」とは門構えに「木」と書くように、ある家の門を開けて入った先に木立があり、静かで落ち着いた雰囲気がある様を指します。つまり「閑」には「静」という意味があるのです。そして、そこに居れば都会の喧騒や様々な煩わしさを防ぐことが出来ます。だから「閑」には「防ぐ」という意味もあります。勿論、「暇(ひま)」という意味もあります。
安岡先生は「忙中に摑(つか)んだものこそ本物の閑である」と言われていますが、忙しい中でも自分で「閑」を見出して、静寂の中で心を休め、瞑想に耽りながら、様々な事象が起こった時に対応し得る胆力を養って行くことは必要だと思います。
あるいは、『三国志』の英雄・諸葛亮孔明は五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた遺言書の中で、「澹泊明志、寧静致遠(たんぱくめいし、ねいせいちえん)」という有名な対句を認(したた)めました。
之は、「私利私欲に溺れることなく淡泊でなければ志を明らかにできない。落ち着いてゆったりした静かな気持ちでいなければ遠大な境地に到達できない」といった意味です。苛烈極まる戦争が続く日々に、そうした心の平静や安寧を常に保ってきた諸葛亮孔明らしい実に素晴らしい味わい深い言葉だと思います。
このように「静」ということは非常に大事です。ずっと齷齪(あくせく)しているようでは、遠大な境地に入ることは出来ません。時として自分をじっくり振り返り、あるいは何も考えないで唯々心を休める時間を持つことが大切なのです。
単に「忙しい、忙しい」で終わってしまうのでなく、もう少し違った次元に飛躍するため、「閑」を意識的に作り出して行き、ものを大きく考えられるようにするのです。ふっと落ち着いた時を得て心を癒し、短時間で遠大な境地に達し、それを一つの肥やしとして“Think Big.”で次なるビッグピクチャーを描いて行くことも出来るでしょう。
最後に、安岡先生の御著書『人生の大則』より次の指摘を紹介しておきます――我々はいろいろ本を読んだり、趣味を持ったりするけれども、案外人間をつくるという意味での学問修養は、なかなかやれないもので、とにかく義務的な仕事にのみ追われて、気はついていても人格の向上に役立つような修養には努力しない。少し忙しくなってくると、そういうことを心がけることはできにくいもので、地位身分のできる頃に、悲しいかな自分自身は貧弱になる。
「忙しい、忙しい」と言う人に限って自己修養をしていません。すると、自分自身の地位身分が出来た時に恥を掻(か)くことになってしまうわけです。将来嘆きたくないのであれば、忙中にも「」を見つけて自己修養せねばなりません。
人間の在るべき姿を求め、その目標に向かって修養・努力し続ける必要があります。『易経』に「天行健なり。君子は以って自彊(じきょう)して息(や)まず」とあるように、我々も日々やむ事なき努力を続けねばならないのです。




 


Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.