北尾吉孝日記

『相対観から解脱する』

2018年4月17日 15:05

ひと月半程前『「人の成功を素直に喜べる」人は、何が違うのだろうか』と題されたブログ記事がありました。結論から言えば、人の成功を素直に喜べない人は、日頃からあらゆる事柄を相対観で捉えている人だと思います。
私などは相対観で物を考えないよう心掛けてきていますから、他の人々の小事を含めノーベル賞等の人類社会の進歩発展に多大なる貢献を果たすアチーブメントに対し、良いものは良いと純粋に嬉しく思います。之は、当たり前と言えば当たり前の話でしょう。
他方、昔から「他人の失敗は蜜の味」という言葉もありますが、人の成功を妬んだり人の失敗を喜んだりするような人が世の中には結構います。そういう人は常に物事を相対比較して、「自分が上なのか下なのか」「自分にとってプラスかマイナスか」といった物差しで全てを推し量って行くわけです。
例えば明治の知の巨人・森信三先生は、あらゆる苦は相対観から出発すると述べられます。「あの人はどの学校を卒業した/私はこんな学校しか出ていない」「あの人は金持ちだ/私は貧乏だ」「あの人は美しい/私はブス」「あの人は賢い/自分は愚かだ」---そうした相対観が如何に虚しいものかを知れば、人間の苦はなくなると言われるのです。「賢愚一如」という言葉がありますが、我々人間を創りたもうた絶対神から見れば、人間の知恵の差など所詮微々たるものであり、人間の差などというものは意味がないのです。
相対比較の中でしか自分の幸せを感ずることが出来ず、その相対的な幸せを得る上での妨げとなる人物に比し自分を卑下したり、恨み等の感情を抱くといった具合に、相対的な価値観の中で生きている人の心には一生安らぎは訪れ得ません。自分を楽にし自分の品性の向上に繋げる上で、相対観から解脱して行くことが私は非常に大事だと思います。
相対観からの解脱をもう少し考えて見ますと、例えば福澤諭吉の言葉に「独立自尊」とあります。独立とは「自らの頭で考え判断するための知力を備えることにより、精神的に自立する」ということで、自尊とは平たく言えば「自らの品格を保つということ」です。
人に依存したり媚び諂ったりせずに自分で主体性を確立し世のため人のために生きている人であれば、他人が立派なことをやったら「あぁ、これは偉い」と素直に見るものでしょう。相対観がため他者を怪しからんと言うのは、全くナンセンスで馬鹿げていると思います。




 

『日本の大学生に思う』

2018年4月11日 16:45

心理学者の榎本博明氏に拠ると、最近の大学生には『「内向的」「情緒不安定」「引っ込み思案」などの言葉が通じなくなってきている』ようで、「多くの大学教員が、学生に対して心理検査やアンケート調査ができなくなってきたというが、それは質問項目の意味がわからないという学生が増えてきたからといわれている」とのことです。
日本の大学というのは入学時点で勉強を終えたと考える学生が非常に多く、アルバイトや遊ぶ為に大学に入っているといった状況です。大学本来の姿とは言うまでもなく、学生の本分は学業に徹し、勉学を通じ学生諸君が互いに切磋琢磨しながら知性を磨き合い、その中でまた人間力も併せて磨くことにあると思います。
SBIグループの新卒採用では私が全て最終面接を行っていますが、「大学に入って何をし、何を学んだか」と聞くと、その殆どがアルバイトとサークルの話です。「学業中に○○を身に付けました」と発言する人は全くと言って良い程おらず、「一体何の為に大学へ入ったのかなぁ」と思うような低レベルの学生が大変多く見受けられます。
スポーツで言っても、体育会に入り本格的に鍛えたということであれば、それはそれでそれなりに人格と体力の錬磨にプラスになる部分も多々あると思います。しかし、テニス等の社交的倶楽部の類に入り、そして暇があれば雀荘に通い詰め、どれだけ稼いだ・儲けたと浮かれているようでは御話になりません。
大学とは最高学府(…最も程度の高い学問を学ぶ学校)であるとの認識の下、夫々の分野で専門知識を身に付けると共に、一般的な教養を深め多いに読書を様々しながら知を磨いて行かねばなりません。明治の知の巨人・安岡正篤先生が言われる長期的・多面的・根本的に物事を見るといった物の見方・考え方を養い視野を広げるのが、正に大学という場でありましょう。
大学の授業料だけでなく、生活費や小遣いまでも親から貰っている学生が、何故アルバイトをしなければならないのでしょうか。アルバイトで遊ぶ金を作るなどして遊び、勉学に費やすべき時間が奪われてしまっているのです。此の類の学生は論外としても、学費を稼ぐ為どうしてもアルバイトをやらねばならない、といった学生も勿論いるでしょう。
しかし、そうした場合も私であれば「奨学金を幾つか取ったら間に合うのではないか」とか、「特待生になるべく死に物狂いで勉強すれば良いのではないか」とかと思います。大学を出たら幾らでも働けますから、私自身は学生時代アルバイトに価値を見出さず、唯の一度もアルバイトをしませんでした。
最近の大学生は、何ゆえ本分である学業に精一杯励まないのでしょうか。彼等がそうなる理由の一つとして、日本の小中高を通じての所謂「暗記教育」、暗記とテクニックで高得点を稼ぎ得る英国社数理中心のペーパー試験偏重体制が挙げられると思います。
要するに現代の教育システム下、記憶力だけが能力を図る唯一の尺度であるかの如き詰まらぬ受験勉強を経験してきたことに因るのではないでしょうか。大学に入れば、若者の知的好奇心をくすぐることのない面白くない勉強は終われりになってしまうのではないでしょうか。日本の教育体制の在り方として、オリジナリティや歴史観・世界観・人世観といったものを養い、物の見方・考え方を育てるようなものに変革して行かねば、根本的解決とはならないと思います。




 

『仕事ができる人』

2018年4月5日 16:40

ひと月前ダイヤモンド・オンラインに、「一目置かれ、仕事ができる人の共通点とは?」という記事がありました。筆者曰く、その人とは「単に担当している仕事を早くそして高いパフォーマンスで行える」だけでなく、「みんなが実は大事だと思っているけれど、でも自分の担当じゃないから……と見ないふりをしているものごと(中略)に積極的に取り組んでいく人」だとしています。
そしてそれに続けては例話を交え、「目の前に落ちているゴミをまたがない」姿勢が大事であると述べています。勿論「そこにゴミがあると気がついたのならば、拾えばいい。自身がゴミを捨てる担当でないとしても、見過ごすことなくゴミ箱に入れたらいい」でしょう。しかし、私は此の姿勢と仕事ができるということは全く関係ない話だと思います。
私見を申し上げれば仕事ができるとは、先ず与えられた仕事につき時間を掛けずに終始先後の判断を行い、そして一気呵成に右から左へ流れるよう唯ひたすらに片付けて行くです。明治の知の巨人である森信三先生の言葉を借りて述べますと、「少しも仕事を溜めないで、あたかも流水の淀みなく流れるように、当面している仕事を次々と処理していく」のことであります。
それから余分な時間を作ったら、次には自分が今やっている仕事に関し、「もっと効率的に完璧にこなすにはどうしたら良いか」「より生産性を上げるには…」「如何にして改善・改良を成し得るか」等々と、次から次に考えることが大事だと思います。そして更には自分が担当している仕事につき、会社全体の方向性の中で位置付けて行くことが出来る人を私は評価します。
結論から言えば、自分の所属している部署にとって、会社にとって、あるいは社会にとって、自分の仕事の意義を本当に理解した上で、その意義を具現化するため一生懸命に全力投球するわけです。真に仕事ができる人は、出来るだけ品質の高い商品・サービスを提供するには如何なる方法があるかといった類を超え、イノベーションを起こして行くことは本当に不可能かといった所までどんどんと考えを膨らませながら、新たな仕事を創り出して行くものです。




 
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