北尾吉孝日記

出処進退と部下の処罰

2007年8月10日 16:21
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先日の参議院選挙の顛末を見て、安倍首相が選挙を通じて国民の厳しい審判が下ったにもかかわらず、自分の責任は職責を全うすることだとして、現職に留まっていることに意外感を持ちました。
また、選挙が終わってから赤城農相の首を切ったのも、どうせやるなら何ゆえ選挙前に切らなかったのか不思議でした。
安倍首相の行動を見ながら私は出処進退の大切さと部下のあり方について考えさせられました。

人生最大の出処進退は、まさに人間の人生を終える瞬間です。
中国の宋の時代に朱新中が「人生に五計あり」という言葉を残しましたが、その五計の一つに死計という言葉があります。
如何に死すべきか、これをとことん考えるということです。松下幸之助さんは立派な死を迎えただけでなく、大きな置き土産を残してくれました。
松下電器産業という大企業を残し、多くの雇用を生みだし、日本の国益に様々なことで貢献し、そして、松下さんの思想は今なお脈々と生きているのです。
すばらしい生き様だった、そして死に様だったとも思います。

人生の最大の、臨終の出処進退とまで言わずとも、通常出処進退と言うと、職を辞するという場面で使いますね。出処進退がすばらしいと評価される人はどういう人でしょうか。
平生から多くの人と協調しながら、一つの目的に向かって一生懸命仕事をしてきた人が職を辞するとき、そういう人は皆から惜しまれつつ、そしてまた新しいところでも活躍を期待されるでしょう。
そういう人達の出処進退こそ評価されるのです。
平生の心掛けが、出処進退の局面でその人の態度や行動に全て現れるものだと思います。
したがって、出処進退の局面に至った時だけ、周りから良い評価を受けようとしても無理なのです。
だからこそ平生が大事なのだと思います。

もう一つは十八史略にある有名な言葉、「泣いて馬謖を斬る」という言葉です。
これは諸葛孔明とその部下である馬謖の話ですね。
街亭の戦いで、馬謖は諸葛孔明の指示を守らなかった結果大敗を喫した。
そして軍規違反を犯した馬謖の首を諸葛孔明は切りましたが、その時彼は「蜀の法が首を切るのであって、私が首を切るわけではない。」と言ったのです。
彼は蜀という国を法治国家にしようと考えていた人間なのです。

そして、それで終わらないところが今日までこのエピソードが語り継がれる所以であり、諸葛孔明の偉大なところです。彼はこの馬謖の遺族を慰め、また以後も遺族の生活の面倒を見ます。さらに孔明自身が責任をとって丞相から降格したのです。
まさに素晴らしい生き方だと思います。
長たるものが部下に対して、単に愛情だけでは駄目だということです。

出処進退、そして部下の処遇の両方を間違った安倍政権が今後どうなるのか、そういったことを見ながら今後の自分のあり方に活かしていこうと思います。




 

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