北尾吉孝日記

『「易経」に学ぶ②』

2009年3月2日 17:41
この記事をシェアする

この易経を我々の先達たちがどのように受け止めて来たかと言えば、例えば孔子は、「我に数年を加え五十にして以て易を学べば大過無かるべし」と言っています。特に晩年には易経の勉強に没頭しています。だから「韋編三絶」と言う言葉があります。昔は革の紐で本を綴じるわけですが、これが三回切れるぐらい孔子はこの易経を勉強しました。

あるいは私の尊敬する陽明学の碩学、安岡正篤氏は「易を学ばなければ、自分自身がどうなっていたか分からないことを折に触れて感ずることがある」と述懐しています。あるいは荀子は、「善く易を為(おさ)むる者は占わず」と言い、荘子も「占わずして吉凶を知る」と言っています。易経に学び変化の原理原則を知れば、占わなくとも先々を察することが出来るということです。つまり易経とは、物事が変化する前にその変化を知る、すなわち「幾」を察する能力を養うための書物であります。

昨年私は『時局を洞察する』という本を上梓しましたが、まさにこの「幾」を察するということであります。「幾」とは物事が変化する兆しであり、兆しとは物事が動く前の機微であります。物事が動き、変化する前には必ずと言っていいほど機微が現れます。この機微を察知するために、超能力は何も必要ありません。ただひたすら易学から学び、努力精進して研ぎ澄まされた洞察力と直感力を身に付けていくことが必要となります。何事においても、指導者たる者はこの能力が無ければ失格であります。

この「幾」だけではなく、実は易経を勉強することで3つの「キ」を学ぶことが出来ます。上記で申し上げた通り、「幾」は兆し、機微ということです。二つ目に「機」ですが、これは勘所、ツボのことです。ツボとは一体何か。お灸してもらっても、ツボに当たらなければ何も効かず、有害無益なだけです。ツボに当たれば経絡が反応して、様々な病に効きます。これが「機」ということです。最後の三つ目は「期」です。要するに物事が熟して、満ちること、言わばそのタイミングのことです。この3つの「キ」を知ることが、指導者たる者非常に大切なことであります。古代この易経が君子の帝王学と言われて来た所以もここにあります。

私自身も若い時から何度も挑戦しては、途中で辞めてきました。しかし、齢58才になり、また過去の蓄積が随分と出来てきますと、難解であると思っていたことが、自分の経験や体験などと合わさって、だんだん理解も出来るようになって来ます。そのような中で私はこのグループの最後の仕上げの為に、この3つの「キ」を自分のものにしなければいけないと思っています。これから世の中は益々難しくなると思いますが、この3つの「キ」を備えるべく、努力精進して勉強し続けたいと思います。




 

(任意/公開)
(任意/非公開)

  • 小
  • 中
  • 大



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.