北尾吉孝日記

『吉田松陰について』

2010年4月6日 15:00
この記事をシェアする

私は昔から明治維新前夜の群像について興味を持っていましたが、この間NHKの「龍馬伝」を見ていて、改めて個人の偉大さというものを認識しました。凡そこの人間社会の変革、進歩をもたらす主体、あるいは文明、文化を作る主体は大衆ではなく、本当に一握りの個人によるものであるという感じを強く受けました。例えば『文章軌範』の中で「一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ」と蘇老泉(そろうせん)が言うように、あの明治維新という無血革命の偉業もそのような意味では一握りの人達がこの世の中を動かしたということです。

現在は「龍馬伝」ということで坂本龍馬に焦点が当っていますが、私は明治維新前夜の人物の中で最も偉大な人物は吉田松陰ではないかと思っています。彼は29歳でこの世を去ったわけですが、その墓には所謂弟子と称する者達17名が自ら自身の名を刻んでいるそうです。その17名の内には、例えば後に内閣総理大臣となる伊藤博文公や山県有朋公がおり、また他の国務大臣が7名、2人が大学の創始者というように偉大な人物ばかりです。百年の計を得るには兎に角、人を育てることが大事であると昔から言われていますが、正に彼は松下村塾にて人を育て、そして明治維新前夜の理論的支柱となった偉人と言えるでしょう。

私は吉田松陰という人物が若干29年の人生において、一体何を勉強してあれ程偉大なる指導者になったのかということに興味を持ち、彼について少し調べてみました。彼は11歳の時、当時の藩主毛利敬親の前で山鹿流『武教全書』戦法篇を講義したわけですが、それを聞いた藩主及び重臣達は皆彼を絶賛し、その博識ぶりに驚いたそうです。その時分から神童、あるいは天才と言われてきた彼が自分を鍛える上で行ったこととして一番大きな事は、読書であります。彼は安政3年に1年間で550冊の本を読み、翌安政4年にはこれまで読了したものを書き物にしようとしていましたが、その年の9月までには346冊の本を読んだと言われています。

彼がどのような本を読んでいたかと言えば、例えば『史記』『唐書』『漢書』『後漢書』等々、当時読むことが出来る中国の様々な歴史書は殆ど読破していますし、所謂経学と称される孔子や孟子の類のものや『太平記』『古事記』『日本書記』と言った日本の歴史書についてもその殆どを勿論読んでいます。その中でも彼は特に孟子が好きであったと思われ、獄中でも牢屋にいる人達に孟子の講義をしていたと言われているぐらいで、その講義内容は『講孟箚記』という本にもなっています。

事程左様に彼は伊藤仁斎、荻生徂徠、佐藤一斎と言った日本の儒者の本も沢山読んでいたわけですが、その彼曰く「読破五車(どくはごきょ)」、つまり車五台分の本を読破したということです。そして、そのことは自分だけではなく、古の英傑も皆同じ事を為したと述べています。このように吉田松陰という人物は非常に沢山の本を読んで新しい時代を洞察し、そして、多くの人を育てて行くことにより偉大なる維新を成し遂げたわけですが、そのような意味において、彼は実に日本が誇るべき立派な人物の1人であると私は強く思っています。

冒頭でも述べた通り、明治維新前夜には吉田松陰以外にも様々な偉人が出て来たわけですが、それは長年続けてきた生活を同じように続けて行くことしか考えない大衆と称される人ではなく、本当に一握りの人達なのです。吉田松陰は29年間という短い生涯を本当に燃え尽きた形で送ったわけですが、私も彼がどれだけ猛勉強してきたかを見て「あぁ、自分は全く勉強が足りないな~」とつくづく思いながら、人生燃え尽きるべく読書のスピードを更に上げているところです。




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.