北尾吉孝日記

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昨日の「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版」の「ノーベル経済学賞に米国の2教授」という記事にも下記記述がありますが、私見を述べるならば、そもそもノーベル経済学賞などと言っても賞金の原資はノーベル財団によるものでもありませんし、他のノーベル賞とは違って最早廃止しても良いのではないかと思っています。

『スウェーデン王立科学アカデミーは10日、米国のトーマス・サージェント教授とクリストファー・シムズ教授に2011年ノーベル経済学賞を授与すると発表した。両教授の「マクロ経済の原因と結果に関する実証的な研究」が評価された。
ノーベル経済学賞は1968年にスウェーデンの中央銀行、リクスバンクが創立300周年を記念して創設されたもので、経済学分野で「傑出した重要な研究」に対して授与され、スウェーデン王立科学アカデミーが毎年受賞者を選定する。
(中略)両教授は1000万クローナ(約1億1000万円)の賞金を折半する。これは他のノーベル賞と同じ金額で、リクスバンクによって支払われる。』

一昨年12月の『Paul A. Samuelsonとノーベル経済学賞』と題したブログでも下記の通り述べましたが、経済学におけるノーベル賞というものを樹立することに大きな役割を果たし、自身も1970年の第二回目にノーベル経済学賞を受賞しているPaul A. Samuelsonという人物がノーベル経済学賞の指名については大きな影響力を発揮してきました。

【例えばJoan Violet RobinsonやNicholas Kaldor、あるいはPiero Sraffaといった、特に英国ケンブリッジを代表する教授達は、その業績から考えて本来ノーベル経済学賞を授与されて然るべきと思われますが、サミュエルソンの影響力もあってか結局受賞することは出来ませんでした。どういうことかと言えば、長年の「ケンブリッジ論争(Paul A. SamuelsonやRobert Merton Solow等の米国マサチューセッツ州ケンブリッジの経済学者達とJoan Violet Robinson やPiero Sraffa等の英国ケンブリッジの経済学者達との間で行われた経済理論に関する論争)」と称されることが恐らく彼の頭の中にはあって、Joan Violet Robinson等がノーベル経済学賞を受賞することを阻んでいたのではないかということです。】

歴代の受賞者を見ればJoan Violet Robinson等は授与されて当然であると思われますが、一つの学派というものが余りにも全面に出過ぎており、その学派から逸れた人間が異端児扱いされて授与されないというような不思議な世界がそこにはあるのです。
唯、上述のブログでも下記述べたようにどちらかと言うと国際経済学を専攻していたJames E. Meadeが1977年にノーベル経済学賞を受賞したわけですが、その現場に丁度居合わせたがために私自身がノーベル経済学賞に対しそもそも不信感を持っているという部分もあるのかもしれません。

【彼の事で忘れられない思い出として、私が英国ケンブリッジ大学留学中にいたChrist’s Collegeの経済学の教授だったJames E. Meade宛に、サミュエルソンから電話が掛かってきたということがあります。その電話は大学での授業中にあって、教授は一度教室を出て行きました。そして、戻ってきた時に教授が言ったことは「I got the Nobel Prize.」というようなことで、私はこの時「一体誰がノーベル経済学賞を決めているのだろう」と思ったことを記憶しています。】

今年受賞したThomas J. Sargentについては1970年代前半に発表した「合理的期待形成理論」で大変良く知られ確かにそれなりの実績もあるとは思いますが(※1)、彼に限らず最近のノーベル経済学賞受賞者というのはどんどん小粒になっており、経済学の体系を樹立するような業績というものではなく、非常にセグメントされた経済の一側面における細かな領域だけの閉鎖的モデル分析といったことで受賞しているのを私は大変残念に思っています。
例えば上記Joan Violet Robinsonもそうですが、Alfred Marshall やArthur Cecil Pigouといった所謂「ケンブリッジ学派」の人々、あるいは更に遡れば「一般均衡理論の父」とも考えられているMarie Esprit Léon Walrasや「マルサスの人口論」で有名なThomas Robert Malthus、そしてまた「経済学の父」とも称されるAdam Smithのように経済だけではなく『道徳感情論』まで著し人間というものそのものから出発しているような人物は現代において最早出てはきません。
John Richard Hicks(1972年ノーベル経済学賞受賞者)やFriedrich August von Hayek(1974年ノーベル経済学賞受賞者)といった経済学者はノーベル賞に値するとは思いますが、果たして最近のノーベル経済学賞受賞者が同じように値するのかと言えば、私はそうではないと捉えています。
そして、そもそもの話として経済学というようなものがノーベル賞に値する程の学問であるのかどうかは最早クエッションマークであり、経済学の理論というのも理論としてはありますが今実際に動いている複雑系の現実を説明する理論というのは結局ないわけです。
経済学に関しては池田信夫氏も下記のように指摘していますが(※2)、経済学者というのは夫々が皆尤もらしいこと述べるのですが結局のところ何が真理なのかは分からないわけで、そもそも検証・実証可能な物理学や科学というのとは全く違ったものなのです。

『ただ役に立たないことは事実で、経済学を自然科学と同じ意味での「科学」と呼ぶことはできません。自然科学で、たとえば明日の朝、太陽が東から昇るか西から昇るかで論争になることは考えられない。ところが経済学では、今のような危機で政府が何をすべきかといった基本的な問題についてさえ、右から左までいろんな意見があって、全体としては何も結論が出ません。』

勿論、物理学や科学といったものにおいてもコペルニクス的大転換はあって、例えば現在の宇宙理論にしてもそうした新理論が証明される可能性は当然あるわけですが、基本的には様々な実験によって事柄の当否というのが明らかにされて行くものです。
それに対して経済学の場合はそうした意味での証明が全く出来ずにその限界を露呈しており、私自身も長い間経済学を勉強してきましたがもう一つしっくり出来ないのです。
例えば、1976年ノーベル経済学賞受賞者のMilton Friedmanが主唱するMonetary Theory(貨幣理論)により今の全ての問題が解決出来るかと言うと出来ませんでしたし、本ブログでも幾度も言及してきた所謂「Liquidity Trap(流動性の罠)」についてもJoan Violet Robinsonがずっと指摘してきたことです。
そして先週金曜日に『ポール・クルーグマン講演会雑感』と題したブログでも取り上げたように、今になって2008年ノーベル経済学賞受賞者のPaul Robin Krugmanが『Living in a Liquidity-Trapped World(「流動性の罠」に陥った世界)』などと述べているという事実もあるわけです。
従って、冒頭で述べたように経済学のノーベル賞について廃止すべきではないかと私は思っています。

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Paul A. Samuelsonとノーベル経済学賞

参考
※1:ノーベル経済学賞に米国の2教授
※2:大ざっぱに正しい経済学を – 池田信夫




 

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