北尾吉孝日記

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『選択』という情報誌の2011年10月号には「なぜ自殺は減らないのか 死を礼賛する冷酷な社会」と題された記事があり、「自殺を巡る諸問題が日本社会あるいは日本人の特質と強く関連している」として日本における「高い自殺率という社会的な病理現象」の要因を下記のように指摘しています。

【精神科医の岩波明氏は、長年の臨床経験から、次のように語る。
「自殺の多発という現象の背景には、自殺を暗黙のうちに許容している『世間』の合意が存在していると考えられる。(中略)役に立たない、用のない人間は死んで当然、いなくなって清々するという心理が『世間』には潜んでいる」
例えば、リストラの結果うつ病になり自殺に至ったケースに対しても、同情するよりは、「きちんと仕事をしていなかったから、リストラされた」「だから死んでも当然だ」などと、冷たい目を向けるのが日本の「世間」なのである。企業のトップの自殺についても同様である。不祥事を防げなかったのだから、死んで詫びよというのだ。
(中略)日本の自殺率(人口十万人あたりの自殺者数)は世界的にも高率で、先進国の中で最も高い。
統計学的にみると、一般に自殺率は失業率と正の相関が存在する。(中略)日本の失業率は欧米諸国の半分程度であるにもかかわらず、自殺率は一・五~三倍程度の値を示している。これは日本人の特に男性にとって、「雇用」が心理的に重要な要因となっていることを意味している。失業した男性は、社会的に価値がないものとして、「世の中」から白い眼を向けられる存在となるからである。】

私見を述べますと、高い自殺率になっているのは勿論日本社会に閉塞感が充満し鬱病が蔓延しているということが一つ挙げられましょうが、何故鬱病が蔓延しているのかと言えば、本ブログでも幾度も指摘しているように日本の戦後教育が間違ってきたということなのだろうと思います(参考:2009年11月5日北尾吉孝日記『心の病にどう対処すべきか』)。
凡そ2年前に株式会社致知出版社から上梓した『君子を目指せ小人になるな』という本の「人生に惑わないために学ぶ-学問の本義①」でも下記の通り述べましたが、要するに困窮して苦しまないため、あるいは憂えて心が衰えないようにするために学問を修めると荀子は言っており、学問を修めていない人というのは多少の苦労で直ぐに苦しみ、様々なことを心配して神経衰弱になってしまうというわけなのです。

【ここまで述べた孔子の学問の本義をまとめてみます。私は、荀子の言葉がそれを非常によく表していると思っています。
「夫れ学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」
実に学問の本義を明確に述べています。
学問というものは、立身出世や生活の手段ではなく、どんなに窮しても苦しまず、どんな憂いがあっても心が衰えず、何が禍で何が福なのか、その因果の法則を知り、人生の複雑な問題に直面してもあえて惑わないためのものである、と。
「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」です。何が禍になり何が福になるかは、なかなかわかりません。しかし、因果の法則-これを「数」といいます-を知れば、人生の複雑な問題に直面しても惑わなくなる。そのために行うのが学問の本義である、というわけです。つまり、孔子にとっての学問とは、自己の自立性を磨き上げて自由を確立するために行うものなのです。
荀子は性悪説を唱えた人として知られています。孔子の門から出て、孟子と並び称される人物です。非常に面白い意見の持ち主ですから、ぜひ熟読されることをお勧めします。】

本来ならば小中高を通じた学校教育において「人間とは何か」「人間如何に生くべきか」ということに関する基本的な学問である人間学を教えなければならなかったのですが、結局そうしたことが教えられることはなく分からないがために現代の日本人というのは死を選んで行くことにならざるを得ないと思うのです(参考:2010年3月2日北尾吉孝日記『人生を生きて行く上で大事なこと』)。
現に江戸時代や明治時代、あるいは第二次世界大戦期においてもこうしたことが教えてこられたのであって、そういうものを止めてきた結果として未病の内に心の病を防ぐことが出来ず鬱病も蔓延し、そして自殺も減少して行かないのではないかというふうに私は考えています。

●参考:『君子を目指せ小人になるな』より抜粋「命を知り、心を安らかにする-学問の本義②」
【もう一つの学問の本義として、次の『書経』の言葉をあげてみたいと思います。
「自ら靖んじ、自ら献ずる」という言葉です。
内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に発しては、何らか世のため人のために尽くす、という意味です。
学問をすることによって命を知り、命を知った結果として心が安らかになる。楽天知命です。これが学問の本義の二つ目であると思います。
第一章で述べたように、私の場合、四十九歳のときに自らに与えられた二つの天命を知りました。その一つは事業にかかわることであり、もう一つは福祉にかかわることでした。そして、天命を知った結果、それからあとは何も迷うことなく、その実現に向けて突き進んできました。その過程で私の心は『書経』のいうように安らかになりました。それは、目標として定めたことが一つひとつ形になって表れ、ある種の自己満足が得られたからだと思います。
たとえば、公益法人「SBI子ども希望財団」をつくり、その後、社会福祉法人「慈徳院」をつくるというように、一つひとつ思いを具現化させていくと、それがある種の自己満足にもつながり、そこで心境の変化が起こって、心の安寧が得られていくということではないかと思います。そうした意味で、私自身、天命を知ることによって心が安らぐという体験をしてきました。】




 

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