北尾吉孝日記

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御存知のように先週火曜日、中国の次期最高指導者への就任が確実視される習近平副主席とオバマ大統領が初会談を行ったわけですが(※1)、米国も大統領をはじめ「バイデン副大統領のほか、クリントン国務長官やパネッタ国防長官らが相次いで習氏と会談し、国家元首級の厚遇ぶりを見せた」ようです(※2)。
米国としても習近平という人間が如何なる人物か好奇心を持って探りを入れているといった状況ではないかと思われますが、私が見る限り全体的な風貌としては中々大人(たいじん)の様相を呈しており、そしてまた人相学上も中国において伝統的に評価される風貌であると思います。
『論語』の「学而第一の八」に「君子、重からざれば則ち威あらず(君子は軽々しいと威厳がない)」という言葉もありますが、習氏は中々重厚な雰囲気を醸し出しているというふうに感じていますし、穏やかさを持っている反面、筋を通す所はきちんと筋を通す人物であろうと私は見ています。
胡錦濤国家主席や温家宝首相も夫々そうであったように、中国共産党の歴代指導者というのは様々な資格要件を満たして中国共産党員になり、その中で熾烈な競争を勝ち抜いてリーダーの地位に上り詰めて行くわけですから、やはりそれなりの能力と手腕と人格といったものを備えた人物なのであろうと思います。
今回のトリップにおけるアレンジの仕方を見てみても、例えば要職者との会談のために首都ワシントンに2日間滞在した後、「習氏が1985年に共産党の地方幹部として家畜肥料の視察団を率いて」訪れたアイオワ州の小さな町マスカティンを再訪し、「27年前にそこで知り合った人々と再会」するといったように、細かな所まで神経を使いながら今回のトリップを最大限効果的なものにしようとした彼の意図が良く読み取れます(※3)。
習氏の様々な言動を報道で見ている限りにおいては、総じて言えば米国としても彼とは何とか上手くやって行けるというふうな手応えを大体において感じたのではないかという気がしています。
その一方で、例えば鳩山由紀夫氏にしても菅直人氏にしても日本の最近の総理が行った米国との首脳会談を考えますと、恐らくその殆どにおいて米国には「軽薄な人間だなぁ」というような印象を常に持たれていたのではないかと思います。
そうした意味で言えば、やはり日本では珍しいスケールの大きな政治家であった中曽根康弘氏などは米国の中でもある程度その人物が評価された内閣総理大臣ではないかと私は捉えています(※4)。
人間がある程度の人物か否かというのは、その風貌から立居振舞、そしてまた発言に至るまで全ての所で表れてきますから、その中には能力や手腕といったことも勿論含まれますが、ある意味での人間力というようなより大事なものが表れてくるわけです。
更に言えば、重厚感や教養、ある意味での胆識といったものを感じさせない指導者は指導者たり得ないであろうと思いますが、習氏の言動からは重厚感や教養というようなものを私自身も感じさせられました。
以前も人物の見つけ方に関する一節があるとして御紹介した中国明代の著名な思想家・呂新吾(りょしんご)の『呻吟語(しんぎんご)』という書物においては(文末●参照)、指導者に求められる資質について下記の通り「深沈厚重、是第一等資質」「磊落豪雄、是第二等資質」「聡明才弁、是第三等資質」というふうに順位付けて論じられています(※5)。

『第一等の資質は、「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」の人。深く沈着で思慮深く、厚み重みがあり安定感を持った人。
第二等の資質は、「磊落豪雄(らいらくごうゆう)」の人。明るく、物事に動じない人。
第三等の資質は、「聡明才弁(そうめいさいべん)」の人。非常に頭が良くて、弁の立つ人。』(※6)

即ち、指導者というのは「磊落豪雄」「聡明才弁」だけでは全く不十分で「深沈厚重」にならねばならないということであり、上記『呻吟語』とは正に「第一等資質」を備えた人物になることを目指す学問と言っても良いでしょう。
今回訪米した習氏を含め中国共産党の歴代指導者についてはそういうふうに見受けられ指導者たり得るという印象を受けますが、日本の政界にはそうした人物が本当にいないように感じています。
例えば、上述の中曽根氏や所得倍増論を展開し実質的にそれを成し遂げた池田勇人氏は指導者として立派であったと言えましょうが、その他の歴代総理の中で指導者として同程度の人物がいたかと言えば、残念ながら人物ここにあらずという状況でありました(※4)。
広く深い教養を身に付けていることは非常に重要なことであり、そうしたものが欠落した指導者にはある種の限界というものがあるわけです。

●2011年3月1日北尾吉孝日記『人物を得る』より抜粋
【この国の危急の時に政は一体何しているのかと呆れ果ててしまいます。
トップというのは人を見るの明、そして人を用うるの徳といったものが絶対的に必要であります。
そして人に対しては甘いだけではなく厳しさも必要であり、弛緩した組織では新しく戦って行く挑戦力というものは決して発現してはきません。
更なる精神の飛躍、そして人間としての使命を果たそうと思う方に是非読んで貰いたいのが中国明代の著名な思想家である呂新吾の『呻吟語』というもので、その中にどのようにして人物を見つけるのかについて書かれた一節がありますので下記ご紹介します。

呂新吾が何を述べているのかと言えば、まずは「大事難事に擔當(たんとう)を看る」ということです。
即ち、事が起こればその担当官の問題への対応能力を見るということ、そしてそれに併せて、仮にそのような事において自分自身はどのように処するのかということを常に主体的に考えるということです。
次に述べていることは「逆境順境に襟度を看る」ということ、即ち襟度の「襟」というのは「心」を指しており「度量の深さを見る」ということであります。
世の中というものは良い時が来れば悪い時も必ず来るわけで、万物全て平衡の理に従って動いており、そのような時に襟度を見ると言っています。
更には「臨喜臨怒に涵養を看る」と書いてあり、「臨喜」というのは喜びに臨んだ時に恬淡としているか、「臨怒」というのは怒りに臨んだ時に悠揚としているかというようなところに涵養を見ると述べているわけです。
そして最後に「郡行郡止に識見を看る」ということ、つまりは大勢の人(群行群止)の中で人を見るというように書かれています。
その人が大勢の中で大衆的愚昧を同じようにしているのか、それとも識見ある言動をとっているのかということを見る中で人を見抜いて行くということです。】

参考
※1:2012年2月15日ウォール・ストリート・ジャーナル日本版「習副主席とオバマ大統領が初会談 大統領は経済問題などでやんわり注文
※2:2012年2月16日読売新聞「習近平訪米 中国次期指導者についた注文
※3:2012年2月17日ウォール・ストリート・ジャーナル日本版「習副主席、アイオワ州で昔話に花を咲かせる
※4:2009年6月22日北尾吉孝日記『歴代内閣総理大臣について
※5:2010年8月30日カンテラ時評【「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」考
※6:2011年4月4日埼玉県知事 上田きよし – きよしブログ「リーダーの素質
※7:2009年9月25日北尾吉孝日記『企業の盛衰を左右する要因とは何か




 

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