北尾吉孝日記

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昨今ネットメディアにおいても一部話題になっていますが、今月1日「正直、負けたといえば負けた。そう思われても仕方がない」というように「大飯原発再稼働容認であの橋下氏が敗戦の弁」を述べました(※1)。
『論語』の中にも「学而(がくじ)第一の八」と「子罕(しかん)第九の二十五」において君子は「過(あやま)てば則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」とあるように、誤りを認識したら直ぐに認めれば良い訳で別に恥ずかしくも何でもないことです。
何の間違いも犯さない神のような人間などこの世の中には存在せず、今回正に彼も間違ったというだけのことであって、それをまた発言の一貫性がないといった形でがんがん責め立てるのも可笑しな話ではないかと思うのです。
以前のブログでも「君子豹変す、小人は面を革む」という『易経』の言葉を下記の通り御紹介しましたが、「君子豹変す」るのは余り悪くとるものでもなく、寧ろ今のタイミングで橋下氏が正しい方向に変えたのは結構なことであると私は考えています(※2)。

【「君子豹変す」と言いますと、どちらかと言えば、ガラッと態度が変わってしまい、何か悪いように受け止められますが、それは間違いです。「豹」の毛は秋になると全部抜け替わり、一転してあの美しい模様が出て来ます。そのようなことから「自己革新」、「自己変革」という意味となり、「君子とは自己革新を図り、小人は表面だけは改めるが、本質的には何の変化もない」という意味になります。】

私は「福島第一原子力発電所事故」直後から東京電力株式会社(以下、東電)の問題点についてあらゆる観点からずっと指摘し続けてきたわけですが(下記①~③参照:北尾吉孝日記より抜粋)、例えば税金投入と料金値上げによって国民に大きな負担を求める形で事を済まそうとしたり、あるいは「公的資金が入った企業の給料とは思えない」水準でまた賃上げを行おうとしたりと、その許し難き悪弊体質には何の変化も齎されてはおらず強い憤りを覚える部分すらあります(※3/※4)。

①2011年3月15日『福島原発事故は天災か人災か』【聞く所によれば今回問題となっている原発は40年も前に作られたものだそうですが、今日までの40年間、その原発がどのようにメンテナンスされ、そしてまた機械器具装置の入れ替えがどのように実施されてきたのかということを私は問いたいと思っています。
(中略)この40年間、当該分野においても凄まじい技術革新があったはずで、それを考えると「なぜ20年に1度程度は全てを取り替える位のこと、あるいは建て替える位のことをしなかったのか」というように思うわけです。】
②2011年4月1日『福島原発事故に対する政府・東電の責任』【考えて見ますと、戦後日本の電力業界というのは「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門翁が9電力体制を築き上げ、それなりに機能してきたとも言えるわけですが、その一方でこの狭い日本において50ヘルツ/60ヘルツと2種類の周波数を明治時代から存在させ続けてきたことは大きな過ちであったと言えましょう。
そしてこの周波数統一が実現されなかった理由に関して言えば、私は東電のような半独占企業を私企業としてきたこと自体が大問題であったと捉えており、東電はやるべき周波数の統一をコストが掛かるとして実施してきませんでした。】
③2011年4月12日『野党の民主党批判は御門違いな面も』【何故それがなされなかったのかを一言で言えば「政官財の癒着」ということですが、我々はその実態を解明すべく今正に大問題として取り上げるべきではないかと思っています。
例えば、経団連会長や副会長のポストに東京電力株式会社(以下、東電)の歴代の首脳部達が就任し自民党に対して莫大な政治献金を行ったことで如何に原子力行政が歪められてきたのかということを徹底的に調査すべきです。
更には、「過去において一体どのぐらいの献金が東電から自民党に対してなされたのか」とか、「その献金が原子力行政のためにどれだけ使われたのか」とか、あるいは「原子力安全・保安院職員等の原子力行政に携わった人間が東電に天下りしていないかどうか」といったことについては虱潰しに調べるべきだと私は強く思います。
そして、政官財に加えてもう一つ糾弾されるべき対象は、旧来の大メディアです。
(中略)何故に半独占企業以上の独占企業が莫大な販促費や宣伝広告費等を毎年のように投じ続けなければならないのかというのは非常に大きな疑問です。
これについては大メディアが多額の宣伝広告費等を東電から受け取り続けていたはずであって、それにより東電にとって不都合なことが一切社会問題にならないようにしてきたのではないかと私は見ています。】

仮に電力料金を下げる方向には働き得ない東電、及びその他電力会社の地域独占体制というものを今後も維持して行くというのであれば、先に指摘した販促費や宣伝広告費等は全てゼロにすべきであり、これまで行われてきたようなマスコミを含めた情報操作とも言い得るものは徹底排除せねばなりません(※5)。
上述したような東電という大問題企業こそが東日本大震災という天災をあれ程の大惨事に至らせたわけですから、確率論的に言うともう少しまともな企業が当事者であれば今回のような人災などそれ程起こりはしないものです。
原発問題というものを確率論で考えることなく今後も国内50基全てを停止し続けるという場合、例えば停電により腎臓病を患う人の透析の電力が不足すれば皆死亡することになるでしょうし、あるいは唯でさえタイトなために手術が出来ない多くの外科医が停電によって予定の手術が出来なくなったり、手術中に停電になったりすれば一体どれ程の人が死ぬことになるのでしょうか。
況して今年の夏が一昨年のような「平均気温:113年で最も暑い夏」並みになってエアコンを自由に使うことが出来ないというようにでもなれば、高齢者の死亡といったものが益々起こってくるのは容易に想定されるわけで、寧ろそうした要因で命を落とす人の方が遥かに多いという事実を我々は正しく認識すべきではないかと思うのです(※6)。
そして更には只でも就職口が無いという人が沢山いる中で、これ以上日本企業の海外移転が加速して行くことにでもなれば、日本経済は益々空洞化を来たして行き蛻の殻になってしまうということもあり得るわけです(※7)。
例えばドイツのように2022年までの全原発稼動停止を国家の大目標として掲げ、そうした一つの方向を達成すべく代替エネルギーの開発からエナジーコンサベーション(エネルギーの節約)の仕方といった所で、様々な政府機関や企業等が知恵を絞り実現に向けて漸減させて行こうというなら話は分かります(※8)。
唯、日本とは全く異なる状況というのがドイツにはあるわけで、一時的にではなくある日突然永続的な全原発の停止を実施するという議論など成り立つはずはないということです(※6)。
今回「撤退」を表明した橋下市長についても漸く今時分物事が理解出来たかという議論は勿論あるとは思いますが、経済的議論を感情的議論とすり替え続けるようなことは愚の骨頂極まりなく、正に人の生死に直結する問題というのはもう少し常識的に物事を考えねばならないということだと私は思っています。

参考
※1:2012年6月1日MSN産経west『「負けた…」大飯原発再稼働容認であの橋下氏が敗戦の弁
※2:2009年3月2日北尾吉孝日記『「易経」に学ぶ①
※3:2011年12月30日北尾吉孝日記『今再び問われる東電処理の在るべき姿
※4:2012年5月31日MSN産経ニュース「東電年収、大企業を上回る 社員平均46万円増の571万円 25年度
※5:2011年11月7日北尾吉孝日記『電力料金を考える
※6:2012年5月11日北尾吉孝日記『「原発ゼロ」の日本に思う
※7:2011年7月20日北尾吉孝日記『岐路に立つ日本
※8:2012年4月17日北尾吉孝日記『トップの資質




 

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