北尾吉孝日記

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御存知のように「福島第1原発の事故を検証する3つの大規模な調査の筆頭格」である「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」は先週木曜日、最終報告書を両院議長に提出しました(※1/※2)。
当該報告書は「タウンホールミーティングから世帯調査、1167人に対する合計900時間超もの聞き取り調査に基づき、独立機関が6カ月にわたり実施したかつてない調査の結果」でありますが、本ブログでは以下3つの論点から批評を加えて行きたいと思います(※3)。

第一に3.11に福島で起きた大災害を「自然の異常現象によるものではなく人災だと明言した」わけですが、如何ともし難い天災ではなく「政府、規制当局、東京電力の過失によって引き起こされた人災」であるとすれば、そもそもの問題処理の仕方が可笑しいということになるでしょう(※3/※4)。
即ち、下記「原子力損害の賠償に関する法律」(法令番号:昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)の第二章・第三条但し書きで争点となる東京電力株式会社(以下、東電)の過失というのは当然問われることになり、法的文脈で言うと国家補償は本来適用出来ないことになるわけです(※5)。

『原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。』

そうなりますと、当然のことながら損害賠償責任は先ず東電が負わねばならず、民間企業として破綻するという所まで基本的にはあらゆる事柄に対する補償を行わねばなりません(※6)。
それ故そもそもが東電処理の仕方として当初から誤っていたわけで、現況のように中途半端な形で実質国有化するというのではなく、所謂私企業としての東電に対してその責任を明確化し単純に法的処理を行って一時国有化するのが全うなやり方であったということです(※7/※8)。
3.11直後から私は「人災」であると指摘し続け上述したような論を一貫して展開し続けてきたわけですが、今「天災」という問題処理の前提が崩れたことはもっと指摘されるべきだと思いますし、その落とし前を如何につけるのかという部分を私は厳しく問うべきではないかというふうに思います。
次にSankeiBizにも『福島第1原発 「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言』という記事がありますが、「根っから染みついた日本文化」こそが大災害の原因であるというのは全く的外れで可笑しな見解であり、今回のような大惨事というのは日本文化論や日本人論といったもので議論されるべきではないでしょう(※3)。
真に問題視されるべきは、戦後60年以上に亘る自民党長期政権下において築き上げられた政官財及びマスコミの癒着構造という諸悪の根源であって、その実態を解明すべくそれこそが正に大問題として指摘されるべき対象ではなかったのかと思うのです(※9)。
例えば、経団連会長や副会長のポストに東電の歴代の首脳部達が就任し自民党に対して莫大な政治献金を行ったことで如何に原子力行政が歪められてきたのか、あるいは一体何故に東電のような半独占企業以上の独占企業が莫大な販促費や宣伝広告費等を毎年のように投じ続けなければならないのかが、大いなる疑問であり徹底的に調査すべき対象でありましょう(※7)。
そういう中で原子力安全・保安院職員等の原子力行政に携わった人間の東電への天下り、あるいはマスコミを含めた情報操作とも言い得る状況を東電が実現し、東電の言いなりになる癒着構造が作り上げられ、そして我々国民が「他国と比して高水準の電気料金」を支払い続けてきたわけです(※7/※10)。
上記記事でも「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」という批評が伝えられていますが、今回のような大惨事の原因を考える上で日本人がどうとか日本文化がどうというのは関係なく全く意味のない議論でないかと思います。
最後に「この事故の責任を負った者と同じ職務にほかの日本人が就いていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」というナンセンスな指摘について述べますと、上記文脈から言ってもありとあらゆる改革改善を阻んできた政官財及びマスコミの癒着構造というものを民主党政権下でニューリーダーが抜本的に潰すことが出来ていたならば、今回のような問題は起こりようがなかったと言えましょう(※3)。
また先月11日のブログ『原発問題の今~「負けた」橋下市長と策動続ける東電~』でも指摘したように、東電という大問題企業こそが東日本大震災という天災をあれ程の大惨事に至らせたわけですから、確率論的に言うともう少しまともな企業が当事者であれば今回のような深刻な人災などそれ程起こりはしないものです。
そして本ブログでも度々指摘してきた通り、菅直人というある意味日本の歴史上最低クラスとも思える総理が被害拡大を齎す余りに御粗末な対応をし続けてきたわけで、もう少しまともな人間が総理の職に就いていれば状況もまた変わっていたことでしょう(※5)。
例えば、一国の総理という地位にある全くのど素人が現場へ向かい陣頭指揮を執ったが為に、受け入れ態勢の準備等に無用なコストや貴重な時間を浪費したり、放水対応に遅れが生じたりというような中で、今回の事故が拡大し大惨事が引き起こされたわけです(※11)。
国会事故調が『首相官邸の過剰な現場介入を「事故の進展を止められず、被害を最小化できなかった最大の要因」』と今回の報告書で結論付けたことに対し、菅氏は「原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある。これが私の結論だ」と述べているようで、自身の職責に対する自覚といったものが著しく欠如していると言わざるを得ません(※12)。
菅氏の愚かさというのは上述したような事故対応に留まるものではなく東電処理においても明らかであり、法治国では考えられないような総理要請がパブリックカンパニーになされ、資本主義国では理解不能な株主負担なき銀行負担が問われ、そしてまた国民負担を最大化するような道へと無意味な指導力が発揮される等々、菅直人という総理が犯した重大な責任は今後もきちっと追及されねばなりません(※11/※13)。
仮に3.11を機に東電を破綻処理し東西で異なる周波数の統一を進め、更には次世代送電網「スマートグリッド」の体系整備を行って東電、及びその他電力会社の地域独占体制というものを打っ潰すぐらいのことをしていれば菅氏というのはまともな総理と評されたのかもしれませんが、結局彼は何一つ為し得ずそればかりか世に害悪しか齎さなかったのは周知の通りです(※14)。

以上、『「国会事故調」報告書の諸問題』と題して3つの論点から3.11以後の小生のブログも参考に論じてきたわけですが、当該報告書によっては本委員会の3つの使命「国民による事故調査」「未来に向けた提言」「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」を果たし得たとは到底言い難いという私の認識を示し本ブログの締めと致します(※2)。

参考
※1:2012年7月9日日本経済新聞「[FT]原発事故は日本の文化が招いた危機
※2:国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会「委員会について – 委員会等活動状況
※3:2012年7月9日ブルームバーグ『「日本文化」を原発事故の言い訳にするな-社説
※4:2012年7月6日ウォール・ストリート・ジャーナル日本版「福島原発事故は規制当局と事業者のもたれ合いによる人災=国会事故調
※5:2011年12月30日北尾吉孝日記『今再び問われる東電処理の在るべき姿
※6:2011年4月28日北尾吉孝日記『東電国有化論の根拠
※7:2011年4月12日北尾吉孝日記『野党の民主党批判は御門違いな面も
※8:2012年7月6日北尾吉孝日記『資本主義と自由競争を守ろう
※9:2011年7月22日北尾吉孝日記『新たな日本創造への処方箋
※10:資源エネルギー庁_エネルギー白書2011 – 第2部 エネルギー動向「第2章 国際エネルギー動向 第4節 国際的なエネルギーコストの比較
※11:2012年3月1日北尾吉孝日記『「民間事故調報告書」を受けて
※12:2012年7月12日ウォール・ストリート・ジャーナル日本版「自己責任を否定=原発事故調に反論―菅前首相
※13:2011年5月18日北尾吉孝日記『パブリックカンパニーとは何か
※14:2011年4月1日北尾吉孝日記『福島原発事故に対する政府・東電の責任




 

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