北尾吉孝日記

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先月25日の致知出版社メールマガジン「偉人たちの一日一言」では、「学問にて練りつめて、徳を成したる人」伊藤仁斎について、『「なんとなく一緒に居りたき人なり」といったような評をしておる人もあります』というふうに紹介されていました(※1)。
私にとって「なんとなく一緒に居りたき人」、逆に言うと一緒に居たくない人とは如何なる人物かと考えてみるに、それは品格が備わっていない人と形容出来るのではないかと思います。
即ち、私利私欲の塊のような人で品性の一欠けらも感じることがないような人とは、生涯を以てお付き合いをしたいとは思いません。
そういう意味では、品性・徳性が高くまた何となく風格・風韻が漂うような人で、その人が傍に居ると場が和み、そして口数少なく泰然たる雰囲気を醸しながらも、時宜を得た言葉の中に深い真理や意味を有するような人と、私は一緒に居たいと思います。
昨年8月のブログ『本物と偽物』でも述べたように良い骨董品をじっと見ていますと、えも言われぬような品格といったものが壺にも茶碗にもあるような気がしますし、人間においても同じようにある種の品格というものが本物には備わっていると思います。
安岡正篤先生におかれても先ず人間というのは、気が漲って元気な状況を保ちながら夢や理想というものを持たねばならず、そうして出てきた夢や理想が志となって、その志を達する為に節操が入って志操というものになり、そして究極的には何かリズミカルになって風韻を発するような格調の高い人間になる、といった言い方をされています(※2)。
之は言い換えれば人間の品位であり、人間の完成系においてはそうした風韻というようなもの、あるいは品格といったものが感ぜられるようになるのであろうと思いますが、私はそうした類のものが出てきているような人と、生涯を以てお付き合いをしたいと思う次第です(※2)。

参考
※1:2013年2月25日致知出版社のメールマガジン『「偉人たちの一日一言」【なんとなく一緒にいたい人】』
※2:2012年8月8日北尾吉孝日記『本物と偽物




 

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