北尾吉孝日記

『人物をつくる3つの要諦』

2013年3月19日 15:02
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経営者であれ政治家であれ、それなりの人物がトップを務めるということが、やはり非常に望ましいと思います。
では、人物というのは如何なる形でつくられて行くのかと考えてみるに、その要諦は次の3つのことではないかと思います。
先ず第一に「敬と恥」という言葉がありますが、安岡正篤先生は「人の人たるゆえん」として此の言葉を挙げておられます(※1)。
自分より優れた人間を見た時に敬する心を持つということ、そして同時に自分がその人間より劣っているという時に恥ずる心を持つということ、此の敬と恥こそが人間を時に発奮させ、人間をより良きものにさせて行く一つの原動力になるものだと思います。
次に挙げられるのは安岡先生の言われる「東洋哲学の生粋」、つまり「尽心」「知命」「立命」を学び、自己維新しなければならないということです(※2)。
自己維新するとは、心を尽くし、本来の自己を自覚し(尽心)、天から与えられた使命を知り(知命)、自己の運命を確立する(立命)という一連の人間革命の原理を実践するものです(※2)。
此の「尽心」「知命」「立命」というものの一つのプロセスを常に行い自己を究明し維新していくか否かが、人間として生きる上での大きなポイントになるというふうに私は考えています。
そして三つ目は一生涯修養だという認識を持つことであり、且つそれは知行合一的修養でなければならぬという認識を持つことです。
知と行が相待たないような修養では意味がなく、如何に先哲の本を読み何が大事かを知っていたとしても、日々の実践の中にそれが現れないとなれば、何も身に付いていないのと同じことです。
陽明学の『伝習録』には「事上摩錬」という王陽明の言葉があり、此の日々の生活の中で己を鍛え上げて行くことを説いていますが、知行合一的修養を一生涯続ける結果として人物というものが出来上がるのだろうと思います(※3)。
では、人物が出来上がった結果としてどういうふうになるのかと言えば、安岡先生の言われる下記「六然(りくぜん)」ということになるのだろうと思います(※4)。

・自處超然(ちょうぜん)──自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
・處人藹然(あいぜん)──人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
・有事斬然(ざんぜん)──事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
・無事澄然(ちょうぜん)──事なきときは水のように澄んだ気でおる。
・得意澹然(たんぜん)──得意なときは淡々とあっさりしておる。
・失意泰然(たいぜん)──失意のときは泰然自若(じじゃく)としておる。

以上述べてきた人物をつくる3つの要諦を押さえ、「六然」の境地に心身を置くような出来上がった人物にこそ、私は指導者になって貰いたいと思っています。

参考
※1:2013年1月10日致知出版社のメールマガジン『「偉人たちの一日一言」【敬と恥】』
※2:1991年5月『知命と立命―人間学講話』(プレジデント社)
※3:2008年4月3日北尾吉孝日記『人物をつくる
※4:2012年12月14日致知出版社のメールマガジン『「偉人たちの一日一言」【六 然】』




 

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