北尾吉孝日記

『自立する心』

2013年3月26日 17:46
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昨日『中国とは「徳」で接せよ』という稲盛和夫さんのインタビュー記事が日経ビジネスオンラインで公開されていましたが、その中で稲盛さんは次のように発言されており私も全く同感です。

「現在の日本は、政府も民間も非常に依頼心が強くて、誰かが何とかしてくれると思っている。自主性や自立性が希薄になって、依頼心と依存心が官民すべてに横溢している。
 自立する心がない限り、日本の現状を打破することはできません。自立するという意識の下に、何としてもいい方向に向かわなきゃならんと思う。そういう強い意志力が欠落している気がします」

2年前のブログ『2011年度入社式訓示』等々でも、私は福沢諭吉の有名な言葉としてある「独立自尊」ということを何度も述べてきましたが、やはり他に依存するということは、他に阿(おもね)たり、諛(へつら)ったり、媚びたりする気持ちに繋がります。
それ故、そういう依存心というのは極力持つべきではないと思うのですが、では他力本願を止め自力本願として行くために何が大事になるのかと言えば、それは自立心・自主性を養うということ、そしてまたあらゆることに対して主体的立場に立つということだと思います。
現代日本においても、我が子のためと親があらゆることをしてあげ過保護に育てるといった所謂豊かな社会に共通する一つの風潮があるが故、最近の若者のみならずある程度の中堅で益々主体性を発揮して行かねばならない年齢の大人にあっても、此の自立心や自主性が欠落した兆候が見られるのは非常に残念なことです。
此の自立心を育てるために先ず以て何が重要かと考えてみるに、それはやはり「自分のことを自分でやりなさい」という徹底した家庭教育ではないかと思われ、教育というある意味一番大事なことを担う親は子を過剰に甘やかすべきではないと思います。
私の好きな言葉の一つに『韓非子』の「厳家に悍虜(かんりょ)なく、慈母に敗子あり(厳しい家庭にわがままな召使いはいないが、過保護な家庭には親不孝者が育つ)」というのがありますが、今正に家庭における躾(しつけ)、学校における今日の教育というものが此の「敗子」を生んできているのでありましょう(※1)。
親は子供の躾(外見を美しくすることではなく、心とその心が表れた立ち振る舞いを美しくすること)に厳たる態度で臨まねばなりませんし、そうした態度で臨むことと子供に愛情を持つということは全く別のことだと思います(※2)。
従って私としては、先ず家庭や学校といった子供達を育てて行く場において、自立心や自主性というものを養うように持って行くべきではないかというふうに考えています。
次に考えねばならないのは、既に社会に出ている大人達をどうして行くのかということですが、例えば先ず経営者の姿勢として私が今でも非常に問題だと思っているのは、嘗ての自公政権時代に作られたエコポイント制度やエコカーへの買い換え・購入に対する補助制度のように、自動車なり電機なりの一部産業だけを保護して行こうという国の一連の施策についてです(※3)。
そして更に今、TPPを巡ってまた農業に対する過剰保護を言い出してきているわけですが、大きく捉えれば本来的には農業であろうが自動車産業であろうが電機産業であろうが、夫々他力本願ではなく自力で如何に難局を打開して行くかということが先ず以てあるべきです(※4)。
上述したような何でも彼んでも国が救済して行こうという姿勢に対しては、国民的にそういうものは許さないということを徹底せねばならないと思いますし、それこそが民主主義であり資本主義であるということを国民一人ひとりがきちっと認識すべきです。
凡そ2年前に東電処理の混乱状況を見、『パブリックカンパニーとは何か』というブログを書きましたが、その中でも指摘したように資本主義の良いところは新陳代謝が常に起き、駄目なものは去り新しきより良いものが生まれる、そうしたダイナミズムを生んで行くということではないかと考えています。
業界・企業が様々な所で他力本願的な事柄を求め政府もそれに応じるというのは、資本主義の一番大事な活力を生み出すものを阻害するという意味でも、私はとんでもないことだと思っています。
あるいは、もっと言えば国防というのも、これまた米国に依存するのは可笑しいというふうに考えており、それについては昨年8月のブログ『日本の領土問題に思う』等で指摘してきた通りです。
此の国防という大なることから先に述べた小なることに至るまで、あらゆる所に依頼心と依存心が蔓延っているという稲盛さんの御指摘は全くその通りだと思います。
企業においては過去の成功体験に溺れることなく、自己否定・自己変革・自己進化というプロセスを歩みながら、時代の変化に対応して生きて行く道を常に自ら考え続けねばなりません。
例えば、そこで働く人間に対して「あなた、変わらないね」と誰かが言った時、その受け止め方としては、一つに周りの環境が全て変わって行っている中で本人もその変化に順応し周りの中に生きているという良い受け止め方があり、それは良い意味での変わり方だと思います。
他方「あなた、変わらないね」に対する受け止め方として、本人も全く成長していないという悪い意味もあるわけですが、私が「あなた、変わらないね」と誰かに言う時には、その二つの意味のどちらかを込めています。
「運命だから仕方がない」というふうに思う人もいるかもしれませんが、運命というのは命(無限の創造、限りなきクリエーション)を運ぶというのが本義であり、己の力で運命は切り開き確立して行こうというのが立命観というものです(※5)。
従って、変わらないということは基本的になく常に変わって行くはずであり、仮に変わらないとすれば、それは周囲の変化に順応した形で生きているという良い意味での変化だろうと思います。

参考
※1:2009年4月13日COBS ONLINE「壁-キャリアの突破口:SBIホールディングス株式会社 代表取締役執行役員CEO 北尾吉孝
※2:2012年7月18日北尾吉孝日記『「滋賀・大津市の中2自殺問題」に思う
※3:2009年12月4日北尾吉孝日記『今求められる経済政策とは
※4:2013年3月22日北尾吉孝日記『「安倍ノミクス」と成長戦略
※5:1986年6月17日『人物を修める』(致知出版社)




 

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