北尾吉孝日記

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今年1月、プレジデントオンラインの記事に『仕事が「雑で速い人」vs「丁寧で遅い人」どちらがエラくなるか?』というのがありましたが、私としては全て仕事の内容で判断されるべきことだと考えており、一概に雑で速い方が良いとか、あるいはその逆であるといったことは言えないと思っています。
例えば、危急を要するような仕事について、取り敢えずは大雑把なものさえあれば良いという形で仕事を与えたのであれば、之は兎に角スピードが要請されるわけですから、速さに加え丁寧さや精緻さまで求めるのは、酷だと思います。
従って、常に仕事を与える側としては、非常に概念的なことだけを大雑把に掴めば良いのか、はたまた精緻を極めた分析が必要なのかを明確にして仕事を与えるべきであり、そういうことを部下が弁え得ないまま仕事をさせているのだとすれば、そもそもの問題は仕事を与える側にあるのだと思っています。
私の仕事の与え方はと言うと、直感的に頭の中に描かれたことを一応検証しておくというのが一つあって、その検証作業においては往々にして然程精緻なものは要求しません。
即ち、自らの直感の中で何か抜けている部分はないか、ミスしているところはないかといったチェックのために行っているわけで、あらゆるディシジョンメイキングにおいてスピードが要求される此の時代においては、何も丁寧なだけが良いというものではありません。
勿論、ものによっては丁寧にして貰わねばならない仕事もあって、例えば日本のデパートで買い物をした場合、普通であれば袋へぱっと入れて御仕舞なものを綺麗に包装し、その上リボンまで掛けるといった具合で、見た目が非常に良く施されています。
之について、一つは日本人の感性というものの表れなのだろうと思われ、外国人などはよく“It’s neat.”というふうに言ってそうしたことを評価したりもするわけですが、その一方で箱を開くだけでも面倒臭いというふうに言えなくもありません。
また日本の伝統的なものづくりというのは、あらゆることに拘って極めて丁寧な仕事をしており、何cm何㎜は当たり前で更に㎜の何分の一までというぐらい、何であっても細部に拘って厳密に作られています。
他方、日本と比して中国などは全く信じ難いことが起こる国であって、例えば中国の工場新設の御祝いに駆けつけた時、ふっと壁を見たら彼方此方に隙間が空いているとか、あるいは現場の作業員が休憩時に落としたジュースの缶が、コンクリートと一緒に混ざっているといったこともありました。
また、中国で新しく高層ビルが建てられたということで御祝いの花火が上がった時、壁が発砲スチロールで出来ていたことから、花火が壁に当たって出来上がったビルが燃えてしまったという笑い話にもならないような話もありますが、日本人の国民性としてそうしたことはありえないことでしょう。
こんなことを聞くとこれから中国でビルを新築するという場合に、中国人は何を使っているか分かりませんから、壁材も床材も日本で作ったものを持って行くとか、あるいは現地で日本人がきちっと作ったものをそのまま建設現場に持って行く、というふうにせねば大変なリスクを負うことになるわけです。
縫製一つを見ても、中国製は随分いい加減に作られていて直ぐにボタンが外れるといったことが頻発する一方、日本のものにあってはそういうことは勿論なく、だからこそ日本製品に対する信頼度というものが世界的に高いのだろうと思います。
日本人というのは、それぐらいきちっと物事をやるのですが、かと言って別に大変な時間を要するというわけでもなく、その物事を如何なる順序でやればより速く進むかとか、どうすれば手際よく出来るかということを伝統的に思考し、ある意味一つの民族性とも言えるものにしてきたということです。
話しを最初の話題に戻しますと、仕事を進めて行く上では、やはり様々なタイプの人間を用いて行かねばならず、上記で言うと雑で速い人も丁寧で遅い人も共にある意味必要になるわけで、仕事を与える側としては仕事によって両タイプの内で適した方に振り分けて行く、ということが大事なのではないかと思っています。




 

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