北尾吉孝日記

『人物研究の在り方』

2013年7月25日 17:25
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今年3月、私は「今日の森信三(529)」として「卓れた先人について研究する場合に大切と思われる点」に関し、森先生の次の言葉を御紹介しましたが、人物研究をやるという場合に何が難しいかと言うと、一つはその人を本当に知ろうと思えば、先ずその時代の歴史から勉強せねばならないということです(※1)。

『それらの偉人の考えたこと、為した事柄を、現在の立場から批判的に見るという立場、それをかりに第一の立場としますと、第二の立場は、そうではなくて、その偉人が生きていた時代を考え自分もその時代の一人になったつもりで、その偉人の思想や行動をいわば内側から考えてみる立場、これをかりに第二の立場といたしますと、もう一つの立場は、これらの何れとも違う立場でありまして、それは、もしその偉人が現代というこの時代に生きていたとしたら、一体どのような生き方をするであろうか、と考えてみる立場でありまして、この第三の立場は一ばんむつかしいわけですが、同時にわたくし自身にとっては、この立場がいちばん意義のある研究態度ではないかと思うのであります。』

そして更には、森先生の言われる上記「第三の立場」も勿論大事になってくるわけで、例えば先々週火曜日のブログ『参院選後の安倍政権の行方』でも述べた通り、統制経済真っ盛りの時代にあって、その統制に対し真っ向から反骨精神を荒々にした男、出光興産創業者の出光佐三氏が今この時代に生きていて行政改革委員長でも務めていたとしたら、日本にとってどれだけ良いことかというふうに思う次第です。
出光氏はその時代、石油業界にあってメジャーと呼ばれる欧米の国際石油資本、及びメジャーと結託しているような日石をはじめとした当時の日本の石油会社、そしてそれらと同調する「官」という一つの既成勢力と不撓不屈の精神を持って戦い抜いたわけですが、今もある意味既成勢力が存在している中で正に行革断行が叫ばれているのですから、彼のような偉大な人物の軌跡を辿ることは非常に役に立ち知恵や勇気を貰えたりもします(※2)。
森先生も言われるように「時代というものを遡ってゆく主体は、結局人間以外にはないわけで(中略)歴史をつくる主体は、どこまでも人間自体でありますから」、人物を研究するということは歴史を知るということでもあります(※1)。
従ってそういう意味では、今の時代に当て嵌めて偉人の思想や生き方がワークするか否かを見る場合、少なくともその時代が現代と共通するような問題を含んでいるか否かも考えねばならないということだと思います。

参考
※1:2013年7月25日現在yoshitaka_kitao – Twitter
※2:2013年7月9日北尾吉孝日記『参院選後の安倍政権の行方




 

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