北尾吉孝日記

『好きな人、嫌いな人』

2013年8月16日 16:52
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今週月曜日の日経BPネットの記事に「どうしてもイヤな相手との上手な付き合い方」というのがありましたが、私の基本的な考えとして出発点は人を好き嫌いで見ないということであります。
12年5月のブログ『独ということ』でも『正に「一剣を持して起つ」という宮本武蔵のような絶対の境地に到っている人は、自分自身を相手にして生きるものです。即ち、そうした人は自己の絶対を尊ぶという「独尊」の世界にあって、そしてその独尊の人は「互尊」という感情を他の独尊の人に対して抱く』と書きましたが、好きとか嫌いとかは全く関係なしに先ず以て一人間として互いに尊重し合い、そしてそれぞれが自らも自らを尊ぶという中で人と人との付き合いを行えば良いのだと思います。
好き嫌いに出発点がある場合、「何であんな奴と付き合わなければならないんだ!」から始まって、「付き合ってみたけれど、やっぱりあいつはダメだ」とぐだぐだと言い出すことにもなりかねませんから、好きな人・嫌いな人に分けるということは、やはり止めた方が良いでしょう。
但し、人間に好き嫌いというものはあるのだろうと思われ、私自身も嫌いな人はいるにはいますが、仕事上は好き嫌いなど一切入れないで、適材適所を考えるということに徹しています。
部長や役員といった長の立場に在る者は、統率力や説得力等が必要なのは当然ですが、何より大事なのは、下に付いて行きたいと思わせる人間的魅力を持っているということだと思います。
また、例えば「あの人、生理的に嫌い」というのは、男性よりも女性に多く見られるケースかと思いますが、こういうのは生理的なものですから、流石に仕方がないのかもしれません(笑)。
しかしながら、仕事の世界においてはどれだけ生理的に受け付けない人であっても、決してそれを持ち込むことなく、極めて冷静にロジカルに判断や評価をして行かねばなりません。
人間なぜ好き嫌いが生じるのかと考えてみるに、よく「あの人が好きだ」と思う時、自分と同じレベルの人が対象になっている場合が多いように思います。
例えば、自分より遥かに優れている人に対しては、好きというより敬するという気持ちになりますし、そしてそういう人は往々にして、この人は自分以下だと思った時にその人を軽蔑する傾向があります。好悪と尊敬・軽侮の気持ちとは本質的に異なるものです。
好き嫌いの判断をする場合に大事なポイントの一つとなるのは、自分と同レベルの人をその対象としているのか否かということです。下段者は人物評価の目が養われておらず、上段者を理解出来ないのは仕方がないのですが、好き嫌いといった時に一側面だけを見て、非常に表面的な見方をしがちなように感じます。
それからもう一つ、例えば相手が出来過ぎたり金持ちだったりということを羨ましく思うところから、その人を嫌いになる人も結構います。
2年半前のブログ『人間の使命』でも述べたように、私に言わせれば相対観で人を見ること自体がナンセンスであって、人と比べることには何の意味もなく、詰まらない相対観ほど自分自身を不幸にするものはありません。
2011年度入社式訓示』でも「不要な相対観を持つことだけは絶対にすべきではない」とか「私生活においても出来得る限り相対観からの解脱をすることが自分自身の幸せに繋がる」と話しましたが、そういうふうに人を相対観で見るべきではないと思っています。




 

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