北尾吉孝日記

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安岡正篤先生曰く、「将来の人物か過去の人物かの相違は、吾れ何人ぞやと考えるか、誰それはあゝだ斯(こ)うだと他人の批判ばかりしているかどうかの一点にある」ということですが、人物を見極めるのは非常に難しいことだと思います(※1)。
人間というのは時として、修養が十分に出来てないが故に、過去の人でなくとも愚痴る人もいます。孔子の高弟の顔淵(がんえん)が「舜は何人(なにびと)ぞや。予(よ)は何人ぞや。為すこと有らんとする者はまたかくのごとくなるべし」といったように名帝の誉れ高い舜も自分も同じ人間ではないか。上を目指して何くそと思い発憤し、努力していくことが大切で愚痴ってもしょうがないのです。
他方、過去の失敗に囚われ後悔ばかりしている人は、恐らく終わった人と言えるのだろうと思います。
従って愚痴るというのも、過去を顧みた上での己の愚かさに対する一種の反省から出発しているところがあるわけで、反省で終わることなく今度はそれを糧としてより良き前進につなげて行かねば、意味を為さないということです(※2)。
例えば、出光興産創業者の出光佐三氏は終戦を迎えた二日後ほとんど全ての日本人が茫然自失としている中、「玉音を拝して」と題した訓辞冒頭で「一、愚痴をやめよ。二、世界無比の三千年の歴史を見直せ。三、そして、いまから建設にかかれ」という発言をしています(※3)。
彼は「敗戦という事実を前に今さら愚痴って何になるんだ」ということを戦後の第一声として発し、それに続けて「三千年の歴史を鑑み、如何に日本民族が過去幾多の試練に耐え抜き、そしてまた、様々な異民族文化を摂取して新たな物を創り上げてきたか」とか、あるいは「明治維新一つ取ってみても、若き志士達が日本の伝統を踏まえながら、あれだけ短期間に西洋列強にキャッチアップして行ったか」という偉大なメッセージを出したのです(※3/※4)。
つまり彼は、そういう歴史を寧ろ振り返って勇気を貰い、今一度前を向いて進んで行こうではないかと日本人を励ましたというわけで、結局反省も大いに結構ですが常にそこには悔い改め今度はこうしようという前向きなものがなければ、本当の意味で過去の人になっていくということなのだろうと思います。

参考
※1:2013年8月3日致知出版社のメールマガジン『「偉人たちの一日一言」【将来の人物】』
※2:2013年5月16日北尾吉孝日記『我事において後悔をせず
※3:2012年7月25日『日本の偉人100人(上)』(致知出版社)
※4:1971年『日本人にかえれ』(ダイヤモンド社)




 

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