北尾吉孝日記

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佐藤一斎は『重職心得箇条』の第四条で、「先づ今此事を処するに、斯様斯様(かようかよう)あるべしと自案を付、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引合すべし・・・今、ある問題を処理する場合、こうあるべきだという自分の案をまず作成し、時と場合を考えた上で習わしとか先例とかを調べて、これで良いかを判断しなければならない」と言い、「自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病なり・・・自案というものも持たずに、まず古い習わしとか先例とかから入っていくのは、当今の役人の共通の病気である」としています(※1)。
あるいは、エール大学名誉教授の浜田宏一内閣官房参与は若き日に、81年ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・トービンから、「先行研究を調べすぎてはいけない。君の発想が消されてしまう。あまりすぐに他の人の仕事を見ると、アイデアが枯渇してしまう。まずは精一杯、自分の頭で考えなさい。そのうえで、困ったときに他の人の文献を見ればいい」という助言を受けたと述べています(※2)。
私が此の先例との向き合い方として最善だと思っているのは、先例・前例の類を余り意識しないということであって、現状の中で今何が正しいかを常に考えるようにするということです。そうしていれば、先例に囚われることも振り回されることも基本的にはないわけで、あらゆる先例・前例を知らないということが、一番良いのだろうと私は捉えています。
先例がどうとか、前例がどうとか、やったことがないからどうとか言っていたら、革命なぞ起こりはしませんし、新しい発想や思想も出てはきません。だからこそ、私自身は先例がどうとか、昔どうだったといったことを然程聞かないようにしていますし、大体がそうした類は枝葉末節だと思っています。
故に上述したように、現状の中で今何が正しい判断なのかというポイントから考え、「あぁ、之は先例と一緒なのか」というふうに寧ろ後付けで先例・前例が何かを偶々知る、というぐらいで良いのではないかと私は思っています。

参考
※1:1995年4月『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』(致知出版社)
※2:2012年12月19日『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社)




 

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