北尾吉孝日記

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昨年12月の日経新聞記事「2020年のスーパー翻訳機(大機小機)」において筆者は、『東京五輪までに、既存の製品とは次元を異にする高性能で廉価な「スーパー翻訳機」を作ったらどうだろう。(中略)常時20以上の外国語と日本語の間に双方向の翻訳機能が欲しいところ。胸ポケットに入る大きさで、文字情報のみならず音声情報も相互変換できることが必要だ。少数言語用の追加ソフトも必要になる』ということを書いていました。
仮にそうした翻訳機が作られたならば、上記記事でも述べられているような有益な用途が多数あるのだとは思いますが、ではその場合に昔からよく言われることですが、語学力というのは要らなくなるものなのでしょうか。
私に言わせれば、要は仕事をする場合でも或いは交友を深める場合でも対話をするということであって、その対話は相手の心を読みながら行うわけですから、心が読めない翻訳機が出来ても語学力はマストだと考えます。
対話の基本的な要素とは相手の心理状況を読むということであって、こちらが出した質問に対して相手がどう答えるのかを予測しながら、また相手の本音をより引き出せる問い方とは一体如何なるものか、と様々考える中で対話というのは為されるわけで、特に仕事上では正にそういうものだろうと思います。
それからもう一つ、上記した類の翻訳機を使うことによって知が言葉になって表れ、言葉に出した意思が表れるということはあるかもしれませんが、決して情が表れることはなく、さらに言葉に出さない秘めた意思が表れることはありません。
外国人であれ日本人であれ、色々なパートナーと共に仕事を進めて行くということを考えた時、私としては「スーパー翻訳機」があれば大丈夫というふうな発想を持つのは誤りだと思っていて、翻訳機は所詮「翻訳機」の役割しか出来ず、それ以上を期待すること自体そもそも無理があるのだろうと思います。
それ故、たどたどしい英語でのコミュニケーションであったとしても、そこには情が感じられ意思が感じられ或いは心を読みながら動いているという状況があるならば、之が一番求められることではないかと私は考えています。




 

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