北尾吉孝日記

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所謂「安政の大獄」による入牢時、下田から護送される中で吉田松陰が詠んだとされる、「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という句は、言うまでもなく非常に有名です(※1)。
また、松陰が「処刑前日に書き上げた、門下生への遺書『留魂録(りゅうこんろく)』巻頭」にある、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という名句も辞世として有名です(※2)。
そういう中で今年1月、「もうひとつ存在した 辞世の書」として松陰が刑死直前に詠んだとされる、「此程に思定(おもいさだ)めし出立(いでたち)ハけふきく古曽(こそ)嬉しかりける」という句が、今時分「弾圧検断者長野主膳の手紙の中より発見」されたと報じられました。
此の句は山口県文書館所蔵の「吉田松陰絶筆」と同じ内容であって、これまで「処刑前に残した辞世の句は1通と考えられていた」ところ、今回「もうひとつ存在した」のが明らかになったということです(※3)。
同句の解釈としてある新聞記事では、「死への覚悟はできており、きょう死ぬことを聞いてもうれしく感じるという意味となる」と書かれていますが、果たして死を前にして本当に松陰が嬉しいと思っていたか否か、その時の心情は察し難いものがあります(※4/※5/※6)。
武士というのは死に余り頓着しないように思われている節もありますが、彼らは無駄死にするのが良いことだとは絶対に思ってはおらず、ある意味死によって生きるということを理想としていました。
即ち、死によって生きるというのは、そこに永遠の命が生まれるということであり、ある意味ベストなタイミングで死なねばならないということですから、その理想を果たせたが故に「嬉しかりける」としたためた可能性はあっても可笑しくないとは思います。
例えば、所謂「辞世句」か否かの解釈は別にして、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世として相応しい芭蕉の名句もありますが、いつ死ぬか分からないという中で芭蕉のように、「わが言い捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし」と大変な覚悟を持ち、毎日生きてきた人もいました。
あるいは、大恩ある此の人の為その恩を最大限返せるタイミングで死を主体的に選んで行く、という昔の助っ人のような存在もあったわけですが、何れにしてもなぜ松陰が安政の大獄での処刑日に、「此程に思定めし出立ハけふきく古曽嬉しかりける」と詠ったのか、その思いはどういうことだったのか私は興味深く想像を巡らしました。

参考
※1:2012年7月12日北尾吉孝日記『夢なき者に成功なし
※2:Google ブックス「全国版幕末維新人物事典
※3:2014年1月24日毎日新聞「吉田松陰:もう1通の辞世 幕府側書状の中に 井伊美術館
※4:2014年1月25日朝日新聞「吉田松陰直筆の辞世、敵方から発見 彦根藩が関心か
※5:2014年1月23日京都新聞「吉田松陰辞世の句、幕府側に 彦根藩士書状から発見
※6:2014年1月23日MSN産経west「吉田松陰の辞世の句見つかる




 

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