北尾吉孝日記

『謎解き難し信長の最期』

2014年7月23日 17:40
この記事をシェアする

室町時代に流行した幸若舞(こうわかまい:曲舞系統の簡単な舞を伴う語り物)の「敦盛(あつもり)」の中に、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という一節があります。
此の意味は、「下天(天上界の中の1つの世界)に比べれば人間の一生などは、アッという間の出来事である」といったものですが、織田信長(享年四九)は出陣の時これを好んで舞ったと言われます。
先々月のブログ『信長は甲高い声が災いした?』でも述べたように、信長は明智光秀に裏切られ京都本能寺(1582年)で急襲されて自害に追い込まれ、天下統一の半ばその生涯を閉じることとなりました。
此の歴史的大事件の背景に関しては昔から実に様々な説が唱えられていて、例えば6年程前にも「本能寺の変に真相なし」(朝日新聞)という記事がありましたが、その「真相は明智光秀遺恨説から朝廷、公家陰謀説まで未だ結論がみえない」状況です。
4年程前の日経新聞記事「新説続々 本能寺の変、黒幕は誰か?」でも指摘されていましたが、此の変については「良質な史料は当時の公家の日記などに頼らざるを得ない状況」で、「それが学術的な論文が少ない一方、専門外の研究者や在野の研究家らが持論を展開しやすい要因となっている」のかもしれません。
その一つに「秀吉陰謀説…信長の遺体が見つからなかったのは本能寺の地下にトンネルがあって秀吉がそれを塞いだからだという説」もあるようで、事実とすれば秀吉が信長を殺したということになるわけです。
あるいは、此の間も「林原美術館(岡山市)が所蔵する実業家林原一郎氏(故人)のコレクションを調査していた学芸員」によって「幻の書状」が見つけられ、今月19日から当該美術館にて一般公開されています。
此の新資料は「四国説…光秀が(その重臣・斎藤)利三を通して元親に四国全体を領有させようと交渉したものの、信長が元親を討とうとしたため、光秀が反旗を翻したとする説」を「補強する史料」として使われているようですが、之を以て真相が明らかになったとはとても思えないですね。信長の死に至る真相はまさしく「日本史上最大の謎」であります。




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.